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『1973年のピンボール』感想

概要

ストーリーが複雑で(というよりジャンクが多い)難解ではあるが、そのジャンクがいい。
箴言、名言、ストーリーが重なる点では聖書に似ている。

名言と出会うのにうってつけの本だ。


あらすじ

1973年、大学を卒業し翻訳で生計を立てていた『僕』は、『双子の女の子』と共同生活を始める。
そんなある日、『僕』の心をピンボールが捉える。
1970年のジェイズ・バーで『鼠』が好んでプレイし、その後僕も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台「スペースシップ」を捜し始める。
(wikipediaより引用)


出口のない世界

冒頭は「見知らぬ土地の話を聞くのが好きだった」から始まる。
いろんな人が「僕」に対して「自分の住む土地がいかにひどく」「でも自分はそこから出て行くことができない」と語る。
そんな閉塞感あふれる話を聴き続けた「僕」は『物事には入口と出口がなければならない』と思う。

入り口しかないものもある。たとえば、鼠捕り。
現実は鼠捕りのようなものなのだ。

例え自分の思うがままに生きていたとしても、ある日、身動きが取れなくなっている自分に気づく。
そして「なぜこんなところに来てしまったのか」と思う。「なぜあの入り口をくぐったのか」と。

『出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない』

この文章は素晴らしいと思う。文章を書く意味は、現実の意味を変えることにある。つまらないことも、こなれた文章で書けば、良い体験に変わったり、新たな意味を付与したりできる。袋小路に出口を 作れる。

本作では、どのようにして閉塞感あふれる現実から出口を見つけるのかに注目したい。


出口のないピンボール

『ピンポールの目的は自己表現にあるのではなく、自己改革にある。
 エゴの拡大ではなく、縮小にある。
 分析にではなく、包括にある』

ピンボールは、プレイヤーに「ハイスコアという目的」以外を許さない。しかも、ハイスコアには果てがないのだ。
現実とピンボールは、出口がない点が共通している。

自分を捨てて他人の決めたルールに従うしかない状況はとてもつらい。
「気づかないうちに、他人のルールの下で生きることを選ばされる」のはもっとつらい。
しかし、そこから出ても、また別の入り口へと迷いこんでしまうだろう。その迷路の名は「幸福」だ。
「僕」はどのように出口へ行くのだろう。




双子の女の子と配電盤が意味するもの

「僕」は双子の姉妹と同居している(経緯は不明)。
「村上朝日堂はいほー」によると、双子の良さは「ノンセクシュアルとであることが同時にセクシュアルであるというクールな背反性」だと言う。
「この子と寝たらどうなるんだろうと考えると、日常的なリアリティを越えてしまう」と。

私が百合姫やコミックLOが好きなのも同じ理由だ。
セクシュアルでありながら、セクシュアルを越える。セクシュアルという入り口から、全く別の出口へと繋がる。
そういうものを見ると、ささやかな希望を感じる。
「僕」も、双子の姉妹から出口の予感を感じ取っているのではないだろうか?

「僕」は双子の姉妹を区別できない。名前をつけても、どちらにつけた名前なのかわからなくなってしまう。
「僕」は双子に対して「出口のなさ」も同時に感じ取っている。世の中にはわからないこともあるのだ、と。

やがて、電話局が配電盤(電話回線を司る機械)を取り替えにくるが、古くなった配電盤を置き忘れてしまう。
配電盤は、電話で話される出口のない無駄話を吸い込みすぎた。
まるで敗血症の猫のように、体の隅々から石のように固くなる。長い時間をかけて。心臓が止まるまで。

そして配電盤は死ぬ。「僕」は葬式をする。

「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある。配電盤よ貯水池の下に底に安らかに眠れ」

という祈りをささげ、池に投げ入れる。
出口が見つからないのは、何かを誤解しているからなのだ。




本作は「僕」の他にもう一人重要な人物がいる。友人の「鼠」だ。もちろんアダ名。
鼠はジェイズ・バーに通い、マスターのジェイと静かに時を過ごす。
鼠は「時間の流れに取り残されている」と感じている。そして大学もやめる。
「お互い好きになれなかったんだ。僕の方も大学の方もね」と。

鼠は女と寝るが、彼女の洗練さに気後れする。

鼠「25年間生きて何一つ身につけなかった」
ジェイ「あたしは45年間かけてひとつしかわからなかった。どんなことからでも努力すれば何かを学べるってね。どんな髭剃りにも哲学はある
髭剃りには、髭を剃る以上の何かがあり、そこを感じることで、何かを得ることができる。

鼠は虚無感から抜け出すために、街を出ようとする。しかし、行き場はどこにもないと思っている。
「人間はみんな腐っていく」「どんな進歩もどんな変化も、結局は崩壊の過程にすぎない」と、鼠は言う。

変わっても変わらなくても、人間は腐る。鼠はどちらをとるか。

鼠に対しジェイは「ねえ、誰かが言ってたよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」と言う。
これは「自分のペースで歩け。休憩を忘れるな」ということだと思う。
自分のペースで進歩しないと、気づかないうちに悪い方へ行ってしまう。そして、気づいたときには止められなくなっている。

「みんながそんな風に問わず語らずに理解し合ったって何処にもいけやしないんだ」
「過ぎてしまえば夢みたいだ、と思えるようになるまでには随分時間がかかりそうな気がする」
と鼠は言う。

『出口とは何なのか、きちんと語らなければ、出口に行くことはできない』
『入口も出口も本当はなかったんだと思えるまでには時間がかかる』


ベストスコアという虚無感

中盤にて、僕と鼠の物語が交錯する。二人でジェイズ・バーで飲んでいたとき、そこにあったピンボールに心を奪われる。3フリッパーのスペースシップと呼ばれる、古き良きモデルだ。

二人は大学に殆ど行かず、給料のほとんどをピンボールにつぎ込む。
「僕のスコアは気球が最後の砂袋を投げ捨てるようにして6桁を越えた」は、その様子をうまく表している。
タバコの吸い殻を撒き散らし、鉛の味がするビールを飲みながら、ピンボールを打ち続ける。

ピンボールのガラス板に、様々な人が映し出される。
「あなたのせいじゃない。あなたはよくやったわ。すべては終わったの」とピンボールは言う。
「僕は何一つできなかった。うまく出来たはずなのに。何も終わっちゃいないんだ」と「僕」は言う。
何もできない。そしてその無力感は僕を支配し続けている。
ゲームで自分の無力感を埋めたい。でも、ゲームが上手くなって自信がついても、問題は相変わらず自分の目の前にある。それが嫌でますますゲームにのめり込む。

ゲーセンは潰れる。「しかるべき時がやってきて、誰もがピンボールをやめる」
その後「僕」は、スペースシップを探す。あるピンボールマニアの家を訪れ、倉庫でスペースシップと再開する。
そして「君のことはよく思い出すよ。そしてすごく惨めな気持ちになる」「ゲームはやらない。僕のベストスコアを汚したくないんだ」と言う。
やってもベストスコアは出せないし、出せない自分にイライラする。そのイライラが、封印した昔の無力感を引っ張り出してくる。

ピンボールが世間から消滅したことに対して「無から生じたものが元に戻った。それだけのことさ」と言う「僕」。
ピンボールは当時の「僕」の虚無感をたっぷり吸い込んで、徐々に固くなって死んだのだ。まるで配電盤みたいに。


出口はどこにあったのか

最後に「僕」は『僕達が歩んできた暗闇を振り返るとき、そこにあるものもやはり不確かな「おそらく」しかないと思う』と考える。
過去はそのままの形で人間の心にいるのではない。様々な変換可能性を抱いたまま眠っているのだ。呼び起こされたショックで、過去は如何ようにも変わってしまうのだ。

ピンボールは、1973年に「僕」が体感した虚無感を吸い込んで消えていった。
現実の問題に向かえなかった後悔から逃亡した果てに辿り着いたピンボール。
しかし、「僕」はピンボールと決別することで、虚無感から抜けだした。

虚無感から抜けるキーワードが「やれやれ」だと思う。
「やれやれ」は、不運を嘆きつつも「まあしょうがないか」と諦観する言葉だ。
その不運は自分の一部でもあるから、自分が引き受けないことにはどうしようもないのだ、と。
出口が見つからないのは、誰かが鼠捕りを仕掛けたからじゃない。自分が『鼠捕りに捉えられた』と認識したからだ。
そのことに気づけば出られる。入口も出口も鼠捕りも、全てが消滅する。

一方で鼠は、虚無感から抜けだせない。次の街へ行くことに希望がない。
「僕」はやれやれを使うが、鼠は使わなかったのだ。

仕事が上手くいかなくてやめる時も,やめる直前までは精一杯やる方がいい。
上司に引き止められたら「あれが僕のベストスコアだった。それを汚したくないんだ」と言う。
これで、仕事を配電盤のように、貯水池の下で眠らせることができる。
ピンボールに教訓があるとしたら、虚無感や後悔の処理の仕方だ。

この小説は、見事に出口を見つけ出した。
入り口も結局、自分が作り出した幻想に過ぎないのだ。

『カンガルー日和』の感想文

読んだきっかけ


この短編集は、即興小説トレーニングのお手本にするために買った。一作品が4000字くらいなので、バトル用にちょうどいい。
もちろん、作品自体も素晴らしいので、読書用でもある。今回は、表題作の『カンガルー日和』を紹介したい。

あらすじ


僕と彼女は、新聞でカンガルーの赤ちゃんの誕生を知り、一カ月間、カンガルーの赤ん坊を見物するに相応しい朝の到来を待ち続ける。
『この機会を逃すと二度とカンガルーの赤ちゃんを見られないような気がする』
不安を抱えて行くと、赤ちゃんはもう子供くらいの大きさになっていた。

子供の大きさくらいになっても、一人で生きるには弱いらしく、母親の袋に入る。
僕たちは、カンガルーの赤ちゃんが保護されているところを見て安心する。
失われた音符を探す枯れた作曲家のような雄、走り回るミステリアスな雌、親子。
4匹のカンガルーを見て、久しぶりに暑い一日になりそうだと思う。


カンガルー日和とはどんな日なのか


僕がこの作品を好きなのは『特別を演出する魔法が詰まっている』から。
「一ヶ月間、カンガルーの赤ん坊を見物するに相応しい朝の到来を待ち続けていた」
「朝起きてカーテンを開け、その日がカンガルー日和であることを一瞬の内に確認した」

『なんとなく行く気になれない』気持ちを、特別にしている。

僕は、この本のエッセンスは『○○日和の作り方』だと思う。
何かをするに相応しい日というのは通常、客観的に決められている。
しかし、この作品ではカンガルー日和がいつなのかを自分で決めている。
そうすることで、自分の気持ちが和らぎ、豊かになる。

『なぜこの日がカンガルー日和なのか』。本文を見てみよう。
僕と彼女は、新聞でカンガルーの赤ちゃんの誕生を知って以来、赤ちゃんを見るに相応しい日を待つ。
しかしそんな日はなかなかこない。
雨が降ったり、いやな風が吹いていたり、虫歯が痛んだり、区役所に行ったりする。
そしてある日、朝起きてカーテンを開け、その日がカンガルー日和であることを一瞬の内に確認する。

「カンガルー日和でない理由」はたくさんあるが「カンガルー日和である理由」は何も書かれていない。
そこがこの作品のポイント。
なぜカンガルー日和なのかは、読者が考えなければならないのだ。
もし作者がカンガルー日和の条件を提示したとしたら、その条件が満たされない日はカンガルー日和ではなくなってしまう。

恋愛でも、相手を好きな理由を挙げると、その理由がなくなった途端に好きでなくなってしまうことがある。
本当に好きな時には、理由を言えないのだ。(突然の冬ソナ)

教科書での読まれ方


本作は高校国語の教科書に載っている。課題にチャレンジし、教科書の狙いを探ってみよう。

「これから先、カンガルーの赤ちゃんを見るって自信ある?」
「どうしてカンガルーの赤ちゃんだけが問題になるのだろう」
「カンガルーの赤ちゃんだからよ」
と言う会話があるが、なぜカンガルーの赤ちゃんだからか?

そ、そこか。女の言葉に論理なんてないよ……
まあ、出題の意図を汲むと「彼女にとってカンガルーの赤ちゃんはどういう存在か」を答えるべきだろう。
彼女は、カンガルーの赤ちゃんが母親の袋の中に入ってないとこを見てがっかりし、袋の中に入ってるのを見ると「袋の中に入るのって素敵」「保護されてるのね」と言う。
「袋に入る」とはどういうことか?

1:「退行」
人間は不安になると、子供返りすることがある。
ガムやタバコは母乳の感覚を思い出そうとしてる(口唇欲求)、自分の体を触るのは母親に抱きしめられた時のことを思い出してるから。
彼女も何か不安を抱えていて、それを和らげるために保護されている赤ちゃんを見ている。

2:「疑似懐妊」
最後のシーンで、父親カンガルーは失われた音符を探し、母親じゃないほうのカンガルーは目いっぱい駆け回る。
「久しぶりに暑い一日になりそうだった」と僕は思う。
これは性行為の予兆なのではないか。
その後の「ビールでも飲まない?」は、実は誘い文句なのだ。

「失われた音符」とは何か
という比喩も問題になっているので、そちらにも触れる。

これはイマジネーションが欠けた状態を指す。
直観が働かないので、今日がカンガルー日和なのかどうかもわからない
一方、母親じゃないほうの雌カンガルーは元気一杯なので、こっちは「今日は絶好の人間日和だ」と思ってるのかも

比喩というのは感情移入と同じ。
つまり、父親カンガルーを見て「才能の枯れた作曲家」と思うのは、自分自身の才能(直感力)が枯れているからだ。
彼女とどのタイミングで子供を作るための性行為をするのか、図りかねている。
しかし、今日が絶好のカンガルー日和だったと感じることで、直感を取り戻す。

カンガルー日和とは、すなわち『セックス日和』なのだ。

村上春樹は、どんな日にセックスをしたくなるのかを、カンガルーに例えているのだ。

教科書ガイドには「カンガルー見て子供の心を取り戻す」と書いてあるが、こういう読み方があってもいいと思う。


僕がカンガルー日和を好きな理由は『我々は朝の6時に目覚め、窓のカーテンを開け、それがカンガルー日和であることを一瞬のうちに確認した』という一文が魅力的だから。
現象学でいうと、一部を見るだけで全体像が浮かび上がってくる感じ。
限りないものを一文に詰め込んだ村上春樹はやっぱりすごい。


月をつかむように

月をつかむように


 久々に見直してみる。
 でもそれだけじゃダメだよね。たまには完成版を作らないと。
 『今の自分の文章力で書ける理想の小説』をはっきり描こう。まずは目標を決めなくては。

 ◆◇◆◇

ゴリラ座には一等星も二等星もない。だから、オリオン座みたいにはっきり見えるわけじゃない。だから他の星には煙たがられてる。
 でも、ちゃんと夜空に浮かんでいる。それも、?日じゃなくて、月が三日月になった頃だけ。ゴリラ座は、三日月の飛行線上にしっかりと待ち受けてる。


 お題の『調和したゴリラ』から連想。
 『AではなくBだ』という文体で書き始めると、伏線回収がしやすいのでオススメ。
 『Aであることに悩んでる話』を書いて、最後は『それってBなんじゃない?』でシメる。

19歳の春。僕は、東京に星がないことを発見した。


 断言でスタート。
 多分だけど、人間が文章を読む目的って『モヤモヤした気持ちをハッキリさせるため』なんだと思う。
 小説の人物がハッキリと自分の気持ちを言うのを見て、自分の中のモヤモヤが晴れる。そういう体験は何物にも代えがたい。

朝はまるで、時限爆弾でも抱えてるかのように急ぎ足で電車に乗る。
夜はまるで、ちょっとしたはずみで押してしまいそうになるミサイルの発射ボタンを持っているかのように電車を降りる。


 これは小説を読んでた時に思いついた比喩。(何かは忘れた)
 うまい比喩を見つけたら、ちょっと変えてパクる。これが比喩上達法。
 時限爆弾はタイムカードの暗喩。ミサイルは爆弾から連想。

「発表する小説、もう決めた?」


 この台詞は、話の着地点を決めるのが目的。
 序盤でしっかり決めておけば、中盤がダラダラしてもしっかりオチに繋げられる。 

日野さんの手は僕の手にすっぽり収まっても、心までそうはならなかった。


 体と悩みが一致しても、心はすれ違う。いいね、小説っぽいね。

◆◇◆◇

 そして時間切れ。
 三日月をバナナに喩えるのはいいとしても、僕と日野さんの問題が解決してないから未完ですね。

 もし続きを書くとしたら……
 日野さんは部長と付き合うけど、何年か後に精神を病んでしまう。
 主人公はそれをどこかから聞いて、日野さんのために書いた小説の書き直しをする。
 ――とか?

 ここまでの説明を見返してみると、『小説っぽく見える文章」を書こうとしてることがわかる。
 それ自体は悪くないが、なんというか『完成させよう』という気持ちが入ってない気がする。
 自分の内側から出た物語じゃないせいだろうか?

自分探しにおける物語の役割


 村上春樹講座にて。ノルウェイの森のテーマは「心と体の不一致」だそうだ。
 この小説には、心では愛しているけど体が反応せずに苦しみ、自殺する女性が描かれている。
 そこから想起したことを書きます。




★自分の物語と社会の物語の不一致

 大抵の悩みは何かと何かの不一致だ。
 雪がせつないのも、心ではいつまでも生きていたいのに体が消えてしまうからだろう。

 現代において最も深刻な不一致は「自分の物語と社会の物語の不一致」だ。
 例えば、他人のせいで自分が不幸になったという物語は、社会には否定される。

 ※注)
 物語とは「自分はこういう経験をしたからこういう人間になった」というフィクションのこと。
 「まっさらだった自分が、ある経験によって作り変えられた」と信じることだ。


★自分の物語と社会の物語を一致させる方法

 『1』一致する社会を作り出す

  ひきこもり 又は 自分探し。
  この行為の本質は、自己像を承認する社会を求めることだ。
  だから、知り合いがいない所へ行き、理想的な自己像ばかりを見せ、それを承認してもらおうとする。

 『2』自分の物語を社会に合わせる

  就活でやる自己分析。
  しかし、自分の物語をうまく合わせられない人はたくさんいる

 『3』合わせる必要なんてない

  合わせなくていいと思ってると、どんどんそういう人や情報が集まってくる。
  結果的に、自分と一致する社会ができあがる。


★自分のケースで考える

 僕自身は、引っ込み思案な性格を親のせいにしている。
 親はいつも僕に怒鳴ってばかりだった。
 僕が話をしようとすると、僕の言ってることが正しいのか一字一句確かめようとするかのような無邪気な目を向けてきた。
 僕は次第に、自分の本当の気持ちを隠すようになってしまった。

 そういう物語を他人に理解してもらうのは結構しんどいだろう。
 僕と全く同じ境遇の人に会っても難しいに違いない。
 おそらくそこでは、「どちらの傷がより深刻か」という、傷の測り合いがある。

 傷の深さは「自分の無垢性」と「他者の邪悪性」によって測られる。
 自分の無垢性は、幼い時に受けた傷や、自分に過失がない事故・災害の場合に保証される。
 しかし、人間は「無垢な人間が不幸になる」という事実には耐えられないので「本人に問題があったのでは?」と考えてしまうジレンマもある。

 社会に受け入れられる物語の数は徐々に増えている。
 同性愛の告白も「そういう人生もあるんだな」程度で認識してもらえる割合が高くなった。
 しかし、そうして物語が増えても、ひとつ問題が残される。


★本当にそれは「自分の」物語なのか

 僕は、性格を親のせいにしてる。
 それはあくまでも、そういう本(エニアグラム)を読んだからだ。
 読むまでは、自分に能力がないせいだと思っていた。
 当時流行っていた動物占いとか六星占術に感動していたら、僕はそっちを自分の物語にしていた。
 自分で選んだものが間違っていることはあり得る。


 「自分の物語と社会の物語が一致しない現代を生きる姿」を、新しい物語で捉え直した小説を書いたら、何か面白いものになりそうな気がする。

読書メーターまとめ

(西尾維新風)

久々にブログを更にして新しくする。
12月は芥川賞読書会で「壁」を語り合った。
作品の不明瞭な点がくっきりわかるようになり、わかるようになった部分が不明瞭な点を新たに作り出した。

来月も引き続き、遊び回るつもりだ。
日常の消費を良しとせず、地上からの飛翔を好しとせん。
サラリーマンの平日の自由な時間で最も多いのは1日90~120分である。
貴重な自由時間を浪任せに費すのは無駄ではないだろうか。
無駄の多い人生とは、すなわち無だ。

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2015年12月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1275ページ
ナイス数:46ナイス

浜村渚の計算ノート (講談社文庫)浜村渚の計算ノート (講談社文庫)感想
少年犯罪を減らすために、人間性を育む教育が重視され、あらゆるものを数値化する無慈悲な数学が教育から排除された世界。そんな社会を憂いた数学者のテロ活動に対し、女子中学生浜村渚が立ち向かう。数学の本なのにスラスラ読めて不思議。内容は専門的とまでは言えないけど、四色問題・フィボナッチ数列・円周率などが魅力的なストーリーで染められている。『数学を好きになるための小説』だ。読後、本作に登場した数学用語に出会ったら、ストーリーが活き活きと思い出されるだろう。「0で割っちゃダメです」がとてもかっこいい。真似したいなー。
読了日:12月28日 著者:青柳碧人
勉強力勉強力感想
娯楽に虚しさを感じたら、教養だ。教養とは『面白さや奥深さを感じるための知識・技能』『生きる上で必要な「真」「善」「美」』のこと。上手に古典に親しめば、教養が高まる。その上、仕事に役立つ能力が強化されるし、善く生きるための羅針盤が得られる。本書は、そのために必要な本や道筋を教えてくれる。音楽・美術・古典芸能のようなとっつきにくいジャンルにも触れているのがありがたい。僕も、教養を身につけて生まれ変わり、好きな音楽、観光地、食べ物と再会しようと思う。きっと、今までよりずっと活き活きと目に映ることだろう。
読了日:12月26日 著者:齋藤孝
辺境・近境 (新潮文庫)辺境・近境 (新潮文庫)感想
人を旅に惹きつけるのは『理由のつけられない好奇心、現実的感触への欲求』である。目的意識があると行きそうもない辺境、ハンプトン・からす島メキシコ・ノモンハン・アメリカ横断。近境の香川と神戸。辺境の持つ物珍しさは、すぐに退屈に変わる性質を持っている。だが、村上春樹の筆は日常化されたものでさえ、非日常に変える力がある。各地にある伝統や生きる流儀みたいなものをありのままに書き、尊重している。旅で大事なのは「辺境が消滅した時代においても、自分という人間の中には未だに辺境が作り出せる場所があると信じる」ことだ。
読了日:12月23日 著者:村上春樹
村上朝日堂はいほー! (新潮文庫)村上朝日堂はいほー! (新潮文庫)感想
エッセイだと、村上春樹の独特の言い回しが完全にプラスに働いてるように見える。彼の言いたいことがよりリアルで、手触りを持ち、且つ滑稽に伝わる。作者が語りかけてくるような――という言葉がぴったり合う。また、短編小説のようにドラマチックな「ささやかな時計の死」。思わず食べに行きたくなる「うさぎ亭主人」。小説を書くコツが紹介された「チャンドラー方式」など、バラエティに富んでいる。「たとえ一行も書けないとしても、とにかくそのデスクの前に座りなさない。そうしないと、不自然にネタを求めてしまう」はなるほどと思った。
読了日:12月22日 著者:村上春樹
壁 (新潮文庫)壁 (新潮文庫)感想
作者が「壁がいかに人間を絶望させるかというより、壁がいかに人間の精神のよき運動となり、人間を健康な笑いにさそうか示すのが目的」と語る通り、収録作全てが絶望的な状況なのに面白い。「S・カルマ氏の犯罪」では、名前を喪失した上、人間になった名刺が自分の代わりに活動している。その後、名前が無いせいで人権を剥奪されたりもする。しかし、主人公に危害を加えてくる人間やモノがあまりに現実離れしていて客観的に見れる。壁とは「世俗にまみれてない、人間の中に潜む無意識」のことなのだ。無意識を運動させることで、人は壁になれる。
読了日:12月18日 著者:安部公房

読書メーター

読書メーターまとめ


『文学部唯野教授』と『海辺のカフカ』が強敵すぎて冊数が伸びず。
冊数が伸びないと読書するエネルギーが減ってしまうので、出来る限り伸ばそう。
適当に書店によって、10分位で感想書くのでも良いから。

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2015年9月の読書メーター
読んだ本の数:1冊
読んだページ数:205ページ
ナイス数:48ナイス

孤独のグルメ 【新装版】孤独のグルメ 【新装版】感想
「ハードボイルドグルメ漫画」という謎ジャンル本。店選び、注文の組み合わせ、食べる順番などに、主人公の哲学が現れていて面白い。特にダブりを嫌うらしく「豚汁と豚肉炒め」「おでんと味噌汁(どっちも汁物)」など、細かいことで唸るのが笑える。でも、こういうこだわりって誰にでもある。そして、それを意識しながら食べるご飯は、何ものにも代えがたい。『モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……』他人の声でなく、自分の腹に耳を傾けることを思い出させてくれる。
読了日:9月2日 著者:久住昌之

読書メーター

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「一人っ子は両親に甘やかされてる」という定説が蔓延る中、
ハジメは一人っ子として生まれ、同じ一人っ子の島本さんと惹かれ合う。

自分には何かが欠けていて、埋められるのはこの人しかいない
「何かが欠けている」というのがこの話では重要だ。


主人公の生まれた1951年の空気は重い。
「一人っ子」だと言われる度に主人公のハジメは「不完全さ」を突きつけられる。
実際にどういう感じなのか、どういう風に変わっていると見られてるのか具体的には書いてない。
もしかしたらハジメが意識しすぎなのかもしれない。
でも、本人にとっては切実だ。

僕は小学校のとき、「長子」だけがもらえるプリントが貰えるのが羨ましかった。
まあ、半分くらいしか貰える人はいなかったけど、あれを貰えないと一人前じゃない気がしていた。
僕には3つ上の兄がいて、兄に勝てるとこがなくて劣等感を感じていた。
変な話だけど「自分が劣っているからプリントが貰えない」と思っていた。

ハジメは最後までこの欠落を埋めることができない。
それはウィトゲンシュタインの言う「語りえぬもの」だからだ。
自分が感じているものを「欠落」と言う言葉で表現したせいで、
どこかに埋めるものが存在すると勘違いするのだ。
そのせいで最後は「欠落は僕自身だ」という風に自分を追い詰めてしまう。

「自分を変える」という言葉があるせいで、自分の人格が取替え可能な部品だと勘違いしてしまい、自己否定をする。
犯罪を犯しても「カッとなってやった」など、その犯行をしたときは別人格だったように言う。
「自分を探す」という言葉のせいで「自分の人格がどこかで絶対的に存在する」と勘違いする。

だが「欠落を埋める」のは、古来から物語が持っていた性質だ。
物語は、最初に主人公の欠落を提示し、埋める過程を示すものだった。
エニアグラムという性格分類のコアも欠落だ。
幼少期の欠落が性格を作る。
欠落を埋めないと他人との関係が上手くいかない。
でも欠落があるからこそ、他人に優しくできる。

僕の欠落は「自分のなさ」だと思う。
自己表現が苦手で、他人と雑談をするのも苦手。おかげで声も小さい。
感想文も大人になるまで全く書けなかった。
自分の感覚というのがよくわからなかった。
というか、自分の考えや思いが相手に受け入れられるというのが実感できなかった。

そういった「空虚」を埋めるためには、感情ではなく理論に頼るしかなかった。
僕は科学雑誌とか図鑑とかを熱心に見ていて、それについて語るようになった。
こういうのには感想はいらない。
ただ「何が書いてあったか」を説明するだけで、みんなが感心して聞いてくれる。
自分の感情を考える必要はなく、ずいぶん楽だった。

また、他の人も同じように、欠落を埋めるために必死なんだと思うようになった。
みんな何かしらの使命感によって動いている。
そう思うと、周りの人へと見方が違ってくる。
自分が「本を読んでないと不安」なように「話していないと不安」な人もいるのだ。

さて、自分と同じ欠落を抱えた人に会ったらどうなるのだろう?
正直、一度も会ったことはない。
でも、会ったらきっと、この小説みたいなことが起こるだろう。


ハジメは同じ一人っ子の島本さんに惹かれる。
「外見の奥に潜んでいる温かく、傷つきやすい何か」を感じ取る。
島本さんは小児麻痺のせいで左足を軽く引きずっていた。
そして「大丈夫よ、ちょっと我慢すればこれも終わるんだから」と僕に向けて語っているような微笑みを浮かべていた。

島本さんがスカートの格子柄を指でなぞっているシーンはエロい。
「その指先から透明な細い糸が出てきて、それが新しい時間を紡ぎだしているように見えた」
例えるなら、水着の位置を直すシーンで
「その指先はナイフのように、彼女を縛り付けているものを断ち切ろうとしているように見えた」

思春期になると、ハジメは島本さんを避ける。
そしてハジメは体を鍛え、ひ弱な一人っ子を卒業し、高校でイズミというガールフレンドを作った。
しかし、イズミとキスをした後「僕は一体彼女についての何を知っているというのだ」と不安になる。
「相手が島本さんなら、こんな不安はなかっただろう」と。

これは、相手の女の子は完璧なのに、自分だけが欠点を持ってる感じかな。
僕自身、よく話す女の子(クラスで一番モテる)が好きだけど、
その子と実際に付き合ったら「僕は一体彼女の何について知っているというのだ」と思うだろう。
相手の欠点に共感できないと、人間同士が理解し合うのは難しい。

ハジメはコンドームを入手するが、イズミにバレる。ここで村上節。
「彼女が<コンドーム>と言うと、それはなんだかひどい疫病をもたらす不道徳な黴菌(バイキン)のように聞こえた」
これもパロ作ろう。
「彼女がコンドームと言うと、まるでお姉さんが小さな弟に教える勇気のでるおまじないのように聞こえた」

他にも村上エロ節
「出来ることなら彼女の肉体の中に手を突っ込んで、その何かに触れたいと思った」
「彼女の乳房は、僕の手にとても親しげに収まった」
「その唇はもう一度改めて僕を求めていた」
「彼女の手はまるでそこに何かを伝えようとするかのように、スカートの下にある自分の性器を撫でていた」

結局イズミとは上手くいかない。
その後、一人っ子の女の子と激しい性交をし、足の悪い女の子とデートする。
「物静かで、引っ込みがちな感じの美しさだった。
 それは僕に、森の奥の方からなかなか出てこない小動物を思わせた」
この描写好き。
「○○な美しさ」でいくつか量産したい。

「それは流れ星のような美しさというより、隕石群の軌道と地球の軌道が長い年月をかけて偶然重なったことに対する美しさだった」
「それは彼女自身が隠しておきたい秘密を覆うための美しさのようだった」
「僕にいくつもの賛辞の言葉を浮かばせた上、その中から決定的なものをなかなか選ばせない美しさだった」

年月は人を変える
「この世界はディズニーの砂漠は生きているって映画と同じなんだよ。
 雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだ。
 虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。
 でもいずれはみんな死んでいく。
 あとには砂漠だけが残るんだ。
 本当に生きているのは砂漠だけなんだ」

ハジメは婚約者の父のお金で、ジャズを流す上品なバーを経営する。
そして、婚約者の父に、バーの儲けを投資で増やしてもらい、裕福な生活をする。
「まるで誰かが用意してくれた場所で、誰かに用意してもらった生き方をしているみたいだ」と感じる。
自分の人生が自分以外の力で好転するのが不安なのだ。

そしてバーに島本さんがやってくる。
美しい文章を吟味するみたいにカクテルを飲む彼女。
ハジメは、噂でしか聞いたことのない極めて珍しい精密機械を前にした時のように彼女を見つめる。
彼女はハジメに会うのを躊躇っていた。
「自分のことについて喋りたくない」「がっかりしたくない」からだった。

ここで気になるのは、島本さんが「4年前に足を手術で治したのよ、少し遅すぎたかもしれないけど」と言ったこと。
これは「早く治しておけば思春期のときのハジメが離れて行かなかったのでは」と感じているのかな。
自分の足のせいで上手くいかないと思いつつ、治したら何も残らないとも思っている。

僕は、自分の欠点を治す医療ができても多分受けない。
それを受けると自分でなくなってしまう気がするから。
自分が今まで欠点を克服するためにしてきた努力が無駄になる気がするから。
でも、島本さんはそれを受けた。
おそらく金銭的な理由だと思うが、もし心理的なものなら、その変化は興味深い。

僕なら、自分の夢を叶えるためだとしたら治療を受ける。
島本さんもそうだったのではないか?
つまり、島本さんは足を治すことで、ハジメに会う資格を手に入れた。
でも、島本さんはまた数ヶ月姿を消してしまう。
そして今度は「綺麗で大きくなくて海に近い川を知らないか」と問い、連れて行ってもらう。

ここのハジメの台詞が良い。
「私は何も生み出してない」
「君はいろんなものを生み出しているような気がするな。
 例えば形にならないものを」
女の子を褒めるのが抜群に上手い。
相手の自己否定は、とりあえず否定する。

その後、好きなシーンが来る。
島本さんが病気で苦しみながら、かろうじて「くすり」と口にする。
しかし、周りには水はない。
そこでハジメは、雪を口に含んで溶かし、口移しで飲ませるのだ。
自分の中の「やってみたいことリスト」入り確定だ。
その後の「君だから親切にするんだ」も言ってみたい。

そして、島本さんはまた数ヶ月後にやってくる。
島本さんしか心を開く相手がいないと確信したハジメは、島本さんも箱根の別荘に連れて行く。
ここでようやく「国境の南、太陽の西」が登場。
国境の南とは、ただのメキシコのことだった。
国境の南には何があるのか想像していたのが拍子抜けする。

太陽の西
「地平線に沈む太陽を見ているうちに、なにかがぷつんと切れて死んでしまうの。
そして太陽の西に向けて飲まず食わずで歩き続けて、そのまま死んでしまうの」
ヒステリアシベリアナという病気らしい。
多分、ノスタルジーの一種かな?
これは惹かれ合う二人のことを言ってるのだろう。

「あなたは私を全部取るか、それとも私を取らないか、そのどちらかしかないの」
「あなたが『二度と私にどこかへ行ってほしくない』というのなら、あなたは私を全部とらなくてはいけないの。
 私が引きずっているものや、抱えているもの全部。
 そして私もあなたの全部を取ってしまうわよ」

島本さんから提示される2択。
これにOKするハジメ。
「一番の問題は、僕には何かがかけているということなんだ。
 それを埋められるのは君一人しかいないんだ」
お互い、かなり極端な思考。
ここらへんがついていけない。
それとも、人と人との心が深く結びついたら、こうなるのが自然なのだろうか?

そして島本さんは消える。
ハジメの思いは消えないし、欠落も埋められない。
しかし、ハジメは決意する。
「僕が誰かのために幻想を紡ぎだしていかなければならないのだろう」
「今の僕という存在に何らかの意味を見出そうとするなら、
 僕は力の及ぶ限りその作業を続けていかなくてはならないだろう」

これは内田樹さんが言ってた「欲しいものを手に入れるにはまず与えなければならない」ということだろう。
自分自身の欠落を埋めるには、相手の欠落を埋めるしかない。
「あなたは私にとってかけがえの無い存在です」と多くの人に思うことで、自分をかけがえの無いものにしていくのだ。

僕自身の欠落は、雑談で和むという感覚がよくわからないことだ。
他人と気持ちを共有するのが苦手で、その欠落を埋めてくれるものを探している。
でも、それを見つけるには、今までの自分を全部捨ててしまわなければならないのだろう。
もし欠落を埋めたいのなら、他人の欠落を埋めなくてはならないのだ。

欠落を埋めようとすることと、欠落に囚われることは違う。
欠落を埋めるには、欠落を受け入れなくてはならない。
そして、受け入れるためには他人の承認が必ず要る。
だから「まず与えなくてはならない」のだ。
まずは、他人の雑談下手を受け入れれば、自然と良くなっていくのではないかと思った。

さ、朝ごはんのカレーを食べようかな。
そしてデザートに岩波新書の目録を食べるんだ。

東京物語 感想



集団的自衛権の議論でときどき見かける『秋刀魚の味』を製作した小津安二郎監督。
その最人気作『東京物語』。

小津安二郎は独自の映像世界・映像美を持っている。
これは「小津調」と呼ばれる。
特徴としては以下のものが挙げられる。

・ロー・ポジションでとる
・カメラを固定してショット内の構図を変えない
・人物を相似形に画面内に配置する
・人物がカメラに向かってしゃべる
・クローズ・アップを用いず、きまったサイズのみでとる
・常に標準レンズを用いる
・ワイプなどの映画の技法的なものを排する
・日本の伝統的な生活様式へのこだわり
・反復の多い独特のセリフまわし
・同じ俳優・女優のキャスティング


僕が気に入ったのは太字のとこ。
このおかげで、なんというか落ち着く。
時間の流れがすごくゆっくりになる。

この映画は家族愛モノと聞いていたが、いきなり家族の仲が険悪になる。
幸一と志げは、わざわざやってきた両親(周吉、とみ)を放ったらかして仕事をする。
子どもたちも自分の部屋を寝床に使われて迷惑そうにしてる。
だからこそ母(とみ)の「勇ちゃんがお医者さんになる頃、おばあちゃん、おるかのう……」がぐっとくるんだけど。

幸一に代わって両親を東京案内するのはなんと、弟の嫁(紀子)である。
ようやく、家族っぽい和やかな雰囲気になる。
こういう、ほぼ他人みたいな人との家族関係が大事なんだろうな。
親子だと近すぎてギスギスする。
そういえば、サザエさんでも波平が怒鳴ってもマスオさんが出てくると収まる。
寅さんもそうだ。

幸一は、両親を箱根の旅館に行かせる。
ここでの両親の会話がいい。

「そろそろ帰ろうか」
「お父さん。もう帰りたいんじゃないですか?」
「お前がじゃろう。お前が帰りたいんじゃろう?」

小津の特徴である反復セリフ。
以心伝心な感じが伝わってくる名シーンだ。
他にもこういったシーンがある。

「お前はどう思う?」
「お父さんはどうです?」
「やっぱり子供のほうがええのう……」
「そうですなあ」

は、同調の仕方が上手い。

「ええ方じゃわい」
「ええ方ですとも」

お互いわかり合ってる相槌は気持ちいい。

そして、母(とみ)の死。
親族が葬儀に駆けつけるも、すぐに帰ってしまう。
その薄情さを嘆く。

「子供って大きくなると、だんだん親から離れていくものじゃないかしら。
 お姉様くらいになると、お姉様だけの生活があるのよ。
 誰だってみんな、自分の生活が一番大事になってくるのよ」
「私そんな風になりたくない。
 それじゃ親子なんて随分つまらない」
「そうねぇ。でも、皆そうなるんじゃないかしら」
「じゃ、お姉さんも?」
「ええ。なりたかないけど、やっぱりそうなっていくわよ」
「いやねぇ、世の中って」
「そう。嫌なことばっかり」


悲しい事実だが、視聴者は意外にもすんなりと受け入れられる
これが小津調の力。
カメラワークもさることながら、反復と同調が上手い。
まるで河合隼雄先生を見ているかのよう。

「私、狡いんです。
 いつもいつも昌二さん(亡くなった夫)のことばかり考えてるわけじゃないんです。
 この頃思い出さない日さえあって……忘れてる日が多いんです。
 私、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。
 このまま一人でいたら、一体どうなるんだろうって、夜中にふと考えたりすることがあるんです。
 一日一日、何事もなく過ぎていくのが、とっても寂しいんです。
 どこか心の隅で、何かを待ってるんです。
 狡いんです」
「ええんじゃよ。やっぱりあんたはええ人じゃ。正直で」



家族との距離感ってのは難しい。
有事の時だけ近づいて、他の時は放っとくことが多い。
でもそれは寂しいことだ。
結局それは、大事にしてないということだからだ。

僕は、用がない時は家族とあまり喋らない。
以心伝心で何かが伝わった経験もない。
でも、それではいけないと思う。
僕は話をするとき、無意識に衝突を避けようとするが、きちんと正面から行くこともするべきだ。
そうしないと、本当の繋がりは得られない。

他にも、細かい点ですが、面白かったとこ

昔の観光バス、バスが動く度にみんな揺れる。ノリノリな観客みたいになってて面白い。
戦後の家はドアあけると「ジリリリリ」って音がするんだな
先生が童貞を殺す服着てる。
「墓に布団はきせられぬ」という言い回し。

「子供が思い通りに育たない」と不満を言ってるのに対し
「これは親の欲じゃ。欲張ったらキリがない」。
愛ではなく欲である、と。



ちなみに、僕がこの映画を見たのは、小津安二郎青春館に行ったからだ。
小津監督の青春時代の記録、面白かった。
小学校の勉強の記録見て、作文が名作小説並みの雰囲気出してて驚いた。
書き出しの
「よみやの日は空に天の川の光。金星、木星等きらめいていた」
が異彩を放っている。
神輿の掛け声を聞いて
「素戔嗚尊の御気の荒い事を感じた」
なんて見事な感受性だ。

寝坊を「眠棒」と書いて筆を入れられてるのも面白い。
確かに、棒みたいに眠ってるもんね。
神楽の声、赤ちょうちん、涼風の音づれを聞いて「良い夜だ」なんて思うのも、僕の子供の頃の感性とは対極だと思った。
「良い夜だ」は今では老人っぽい台詞だ。
当時の子供も、今の老人と同じ心持ちだったのかな?


もし自分が作家デビューしたら、自分のこれまでの人生を読者に提示することになるかもしれない。
ノーベル文学賞とって記念館できたら絶対にそうなる。
その時、今の自分の幼少期を出したらどう思われるのだろう。
ひきこもってゲームばっかの人生見て「だから想像力が豊かなのか」と思われるのか?

僕の過去の成績表を出して、国語と図工の低評価を見られたら「日本の教育は想像力を評価していない」とか言われるのだろうか?
タイトルと名前と先生のコメント「どうしたの?」しか書いてない感想文を展示してもそう思われるのかな。
もしそうなら、作家になりやすい人生なんてないのかもしれない。

どう評価されるかなんて、見せてみないと意外とわからないものだ。
たとえ予想通りだとしても、よく観察すると自分の予想とは違うことだってある。
そこから次の行動が生まれることもある。
やらない内から悩んだり、過去を振り返ったりしてもあまり意味はない。
できることからやろう。

そんなことを思った。

孤独のグルメ1話 「江東区門前仲町の焼き鳥と焼き飯」

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「孤独のグルメSeason1 第1話」の小説アレンジです。

-----☆彡-----★彡-----☆彡-----★彡-----☆彡-----★彡-----☆彡-----★彡----

 何年ぶりだ? 学生の時に深川祭で来て以来だな。

 江東区門前仲町。裏路地には俺好みの昔ながらの飲み屋街が多い町だ。
 こういう、昔ながらの風景っていいよな。門前仲町にはそういうのがまだ残っている。
 そんな店を端目にしつつ10分ほど歩くと、依頼主と待ち合わせしてる店に辿り着いた。
店の名前は……「美味しいコーヒーと手作りごはん」??

 ……。

 イメージが嫌なぶつかり方だ。コーヒーじゃ、ご飯が進まないじゃないか。
 ご飯は俺にとっては重要な食べ物だ。美味しいおかずを、ご飯と一緒に食べるのが俺の幸せだ。
 だが、まだご飯には早い。とりあえずコーヒーでも飲んで待とうか。

 店の中は、いかにも最近といった感じの、上品な作りだった。ベージュがかった白壁と木のテーブルに、黄色電球の明かりが降り注いでいる。

 俺の職業は輸入雑貨の貿易商。
 海外の雑貨店で仕入れた雑貨を、日本の人たちに販売する仕事だ。大抵の場合、店のインテリア、食器、テーブルなんかだ。時々個人的に欲しがる人もいる。
 今回はうまく売れるだろうか。個人商売というのは、一件一件が本当に勝負だ。一つ伸ばせばその分自分の給料が減ってしまう。
 だが……そのかわり、好きなときに、好きな場所で、誰にも邪魔されず、気を使わずに飯を食べられる。俺はそういう生活が好きで、この仕事を続けている。
 さて、やりやすい客だといいのだが……


 ◆◇◆◇

「竹山さんに紹介されてお宅のホームページ拝見して、すっごく趣味がよろしくていらして。ティーカップを揃えようと思ったんですけどなかなか気にいったものが見つからなくてそんな時だったからもう、うれしくてつい甘えちゃって」

 これはまずい。一番やりにくいタイプだ。よく喋るおばちゃん。

「普通はネット注文なんでしょうけど、わざわざ持ってきて下さって」
「いえ、ちょうど近くを」
「それにしてもほんっとにいい――」

 人の話を聞かずに、一方的に捲し立てるタイプ。
 ちなみに次にやりにくいのは、欲しい商品のイメージが漠然としすぎているタイプだ。

「いろいろと苦労もおありなんでしょう?」

 今の状態がまさにそうだ。話を聞いてこれだけ疲れたのは初めてだ。
 まあ、売れたからいいけど。

 次に、寄る予定だったアンティークショップへ行く。アーリーアメリカンテイスト。西部開拓時代の味が残る店だ。
 俺も店を一件ぐらい開いてみてもいいと思って参考に見に来てみた。だが、見ているうちに、なんだか違う気がしてきた。
 それに、俺には店の主は似合わない。結婚同様、店なんて下手なものを持つと、守るものが多すぎて人生が重たくなる。男は基本、体一つでいたい。

それにしてもなんだか……
腹が……
減った……

――よし店を探そう。

 永代通りを渡った反対側に、隅田川の主流があるはずだ。俺の経験によれば、昔ながらの店を探したければ、川の側を攻めろ、だ。そう思うと早足になってしまう。
 隅田川に近づくと、狭い路地に、看板と電線が所狭しと並んでいる。飲み屋小路だ。やっぱり、こっちであたり。さて、何を食おうか。
 綺麗な木の目が通った引き戸、ほどよく崩した看板の文字の店がずらり、だ。どこもかしこも美味そうに思える。でも、ここで焦りは禁物だ。昼は鯖だったから、とりあえず魚系は外して……

 俺の腹は今、何腹なんだ?

 すると、ある店の暖簾と赤提灯が目に飛び込んできた。やきとり……そうだ、やきとりだ! しばらく食べてない。それに、ご飯ものも、きっとあるだろう。
 期待を膨らませて暖簾をくぐると、店の中の暖かな雰囲気に包まれる。なんというか、自分家って感じがする。ごちゃごちゃした感じとか、くすんだ机とか壁とか。うん、やはりこの店で正解だ。

「飲み物はなにになさいますか?」

 烏龍茶で、と答えると、なぜか店主は店の外へ行ってしまった。家の外に冷蔵庫があるのだろうか?
 しばらくすると、店主が戻ってきた。

「うちの店、外にも冷蔵庫があるんですよ。となりの酒屋さんですけど」

 なるほど。そういうのも昔ながらの感じがしていいな。
 さて、食うぞ。まずは焼き鳥でいってみよう。

「焼き鳥は何があるんですか?」
「ねぎま(胸,もも)、軟骨、かわ、砂肝(食べ物をすりつぶす)、手羽先、レバー、つくね(肉団子)……の7種類。全部塩です」
「じゃ、全部ください」


焼き鳥


 小気味良い焼ける音がした後、焼き鳥が運ばれてきた。焼き鳥を食べるのも久しぶりだな。うん、うまい。塩味がほどよく効いてる。これでご飯が食べたくなるな。なんで焼き鳥定食がないんだろう。
 うまい。ほんとうに旨い。焼き鳥って、こんなにうまいものだっけ。なんだろうこの旨さは。なんだか、笑えてくるな。

……おいおい、あっという間に6本食べてしまったぞ。
……名残惜しいが、最後のつくねも食べる。うん、やはりうまい。

 次に頼んだのはホッケスティック。スッキリとしていてなんともスタイルが良い。和風なのか洋風なのかわからんがうまい。
 そして信玄袋。巾着状の油揚げに、オクラとホタテがはいっている。これが福袋なら大当たりだ。これだよこれ、今日はついてるな。

 ここで隣の客が「つくねとピーマン」を注文。ピーマンの中につくねを詰めて食べている。実にうまそうな顔をしている。
 ……。

「すいません。つくね2本とピーマン下さい」

 そんな美味しそうに食べられたら、行くしかない。
 早速出てくる。口の中がどうなるのか、早く試してみたい。はやる気持ちのまま、ピーマンとつくねを口に入れる。
 ……苦いっ! けど、新しい。
 ……苦い、でもうまい。
 苦旨い。

 さあて、そろそろご飯が欲しいな。やはりご飯がないとしまらない。

「すいませんご飯下さい」
「はい、焼き飯ですね」
「……焼き飯? じゃ、それ下さい」

 チャーハンじゃなくて焼き飯か。どんなんだろう?
 すると、しらすと梅肉が入った焼き飯が現れる。パラっとかかったシソの葉がいい。
 焼き飯に梅干しかぁ……。発想がなかった。これいい、これいいぞ。一気に箸が進む。気づけば、焼き飯の器は空だった。

 今日もいいものを食べれた。幸せだ。
 でも……今度はたれで白い飯食いたいなぁ。そんなことを思いつつ、俺は今日食べた焼き鳥の味を思い出していた。

虚白ノ夢 感想(ネタバレ控えめ)

フリーゲーム、虚白ノ夢プレイしました。
プレー時間は3時間くらい。気にいった文章をメモったり、自分の人生について考えたりした分(?)長め。

ダウンロードはこちら

虚白の夢


碓氷深白は17回目の誕生日を迎えることなく身投げし、目が覚めると『鏡の世界』にいた。

『この世界に点在する、あなたの姿が映る鏡は、あなたの記憶を写す鏡。
 記憶を取り戻すこと、それは同時にあなたの望みを叶えること』

私の人生が初めから存在しなかったことにする」ために、彼女は自分の姿が映る鏡を見つけ、割っていくが……?


謎解きをしながら進めていくホラーゲームです。
ホラー要素が中々手が込んでて、かなり怖かったです。
急に襲ってくる敵とか、抜ける足場とか、飛び立つコウモリとかが怖かった。
特に怖いのはED5のいじめっ子達をメッタ刺しにするとこですね。
悲鳴を聞きながらZボタン押しまくり。手が震えました。

謎解き要素も、バリエーションに富んでて面白い。
破顔の晩餐会は特に良かった。無理して笑い続けるパーティー……怖すぎる。

このゲームの好きなとこは、鏡を見るうちに深白が死んだ理由や深白の生い立ちが徐々に明らかになるところです。
こんな救いようのない記憶ばかりが戻ってきて、どうやって幸せになったらいいのか。
なんとなく、自分の人生を重ねあわせて見てしまい『どうか幸せになって欲しい』と願いながらのプレイでした。
他にも2人、『鏡の世界』に迷い込んだ人がいるのですが、この2人とシナリオの絡み具合も最高でした。
この2人の協力でEDが変わっていくのも好きです。

シナリオが気になって進めたゲームなんて「FF6」以来ですね。
あれはほんとに世界が終わるんじゃないかと思い、眠れなかったのを覚えてます。

他に好きなのは、自殺シーンとか流血シーンの描写ですね。
大抵のゲームだと、こういうシーンが繰り返し出ると淡々としがちですが、このゲームはリアルに感じました。
多分、文章が巧みなおかげでしょう。
生々しい感覚が、スクリーン越しでも伝わってきます。

ホラー良し、謎解き良し、シナリオ良しの作品。
是非プレイして欲しいです。
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