そばを食べるときに僕が考えたこと

今日、近所のソバ屋(重ね言葉ではない)に昼食をとりにいった。

私はソバは好きではないが、ソバを食べている自分は好きだ。
テストを解いているときや、採用面接を受けているときと違って、醜態をさらす必要がないからだ。
もし面接中にソバを食べても良いのなら、喉越しの良い自己PRができるだろう。

店の中は、白塗りの壁を木の柱が支えており、広々としていた。
どちらかと言えばイタリア料理が似合いそうなレイアウトだ。
しかし、ピザが出てくると困る。
ピザは1年前に食べたばかりだからだ。
もし今日食べると、来年もまた食べなければならないという義務感に襲われてしまう。
義務は勤労だけでたくさんだ(勤労はしていないが)。

暫くすると、綺麗な女性店員さんが注文をとりにきた。
『透き通るような』という表現が役不足に感じられるほど、綺麗な肌だった。
透き通るような下着と言えば良かったかもしれない。

私はランチメニューを頼んだ。
前菜とそばと天ぷらのセットだ。

前菜は、肉・カボチャ・ブロッコリー・昆布などをゲルで固めたような料理だった。
マスタードとマヨネーズを混ぜたようなソースと、めかぶ(?)入りのレモン汁を掛けて食べるようだ。
口に入れると、野菜の甘みが全体に広がり、とても美味しかった。
私は、「ためしてガッテン」でやっていた「節約調理法」で作った野菜の味を思い出した。
茹でる際に少量の水を入れて蓋をすることで、蒸気のパワーが野菜の甘みを引き出すのだ。

私は調理法がわかって上機嫌になった。
店内BGMの「風の通り道」を聴いて、エレクトーン発表会で失敗したことを思い出すまでは。
私はこの店のBGMの選択に明確な悪意を感じた。
テストや採用面接だけでなく、エレクトーン発表会でも失敗する人間だという事実を突きつけるのは、無慈悲である。

そんなことを考えていると、ソバと天ぷらが出てきた。
白くツルツルしたソバを、少しアルコールの効いたそばつゆに付けて食べた。
すっきりとした味だが、どうも風味が感じられない。
天ぷらも、柔らかな具とサクサクした衣の食感が良かったが、味はイマイチだった。

早々に味わう楽しみがなくなったので、私は他の楽しみ方を模索した。
そして、「すイエんサー」でやっていた「ソバを絡めずに持ち上げる」ワザを試そうと考えた。
しかし、ソバが元々ツルツルだったのでワザの出番はなかった。
幸い、どんなワザだったのか思い出せなかったから良かったものの、折角の機会が失われてしまったのは残念である。

食べ終わり、店の外に出て疑問が湧いた。
「なぜ失敗は思い出せるのに、ワザを思い出せないのだろう」
これを防ぐには、失敗を思い出すワザを身に付けるしかない。
失敗を思い出すたびに「これはワザだ」と思えば、同時にワザを思い出したことになり、無力感が和らぐはずである。
素晴らしい発見だ。

今日もまたひとつ、無力感が減った。
このペースでいけば、いつの日か自信が持てるようになるかもしれない。
しかし、この思いつき自体が失敗だとわかったらどうすべきだろう。
そう考えると嫌な気分になってきた。
やはりソバは嫌いだ。
大晦日まで食べるのはやめておこう。


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本文は、土屋賢二さんのエッセイを真似て書いたが、どこか物足りない。
「哲学」の要素が抜けているのだろう。
自虐ネタだけでなく、あらゆるものを疑う姿勢が必要だ。
「日本料理屋とはなにか」
「そばとは何か」 etc.

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