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読書メーターまとめ

2016年6月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1378ページ
ナイス数:58ナイス

今月はEU離脱が痛かった。予想してれば株で儲かったのに。
読んだ本が少ないのは、仕事のことで悶々としてたからだと思う。
でも、もう辞めちゃったし、来月からはペースを取り戻せそう。


東京奇譚集 (新潮文庫)東京奇譚集 (新潮文庫)感想
「村上春樹講座」で、初心者向けとして勧められてた本。キザな台詞と性描写がないので、村上春樹嫌いでも楽しめると思う。気に入ったのは「品川猿」。女性は、自分の名前を思い出せなくなった。盗んだのは猿だった。猿は名前に付随するネガティブな要素も一緒に盗んでいた。猿から名前を取り戻すとき、彼女は自分が母と姉から愛されてなかったことを知った。教訓としては「何かを忘れるときは、現実から目を逸らしたいときだ」だろう。でも、それはただ逃げてるわけじゃなく、必要だから行われているのだ。
読了日:6月22日 著者:村上春樹
大人の友情 (朝日文庫 か 23-8)大人の友情 (朝日文庫 か 23-8)感想
社会人以降、友達が増えないのを気にして読んだ。友情というのは「虫が好かない」や「馬が合う」という言葉にあるように、無意識の領域で作られる。友人になった後でも、嫉妬・恋愛・社交・裏切り・死などの様々な問題が生じる。『日本は一体感を大切にする。ただ、本当に一心同体になるのは難しいので、「形」で表現する』というが「そもそも一体感は必要か」と考えてしまう。アラブの諺『気持ちは一緒に、住処であるテントは離して』 は、友人との距離感を上手く表している。心理的に近くても、物理的には遠いというのが大事なのかと思った。
読了日:6月22日 著者:河合隼雄
街場のマンガ論 (小学館文庫)街場のマンガ論 (小学館文庫)感想
日本で漫画が発展した理由『日本語が図像を表す漢字と音を表すカナで構成されてるから、日本人は絵とセリフを同時処理するのに慣れてる』というのが驚き。外国人は同時処理できないので、外国マンガのアクションシーンにはセリフがないそうだ。少女マンガ論の「少女漫画にはあるが少年漫画には存在しないもの」が面白い。答えは「心の中には存在するのだが、そのことに本人さえ気づいていない言葉」。この言葉を知覚できるのは女性だけ。うーん、この能力欲しいなあ。『冬ソナを見て泣ける男』はこの能力持ってるらしい。俺も冬ソナで泣きたい。
読了日:6月22日 著者:内田樹
ヨハン・クライフ―スペクタクルがフットボールを変える (中公文庫)ヨハン・クライフ―スペクタクルがフットボールを変える (中公文庫)感想
全ての選手が全てのポジションをこなすトータルフットボール。勝利ではなくスペクタクルを求めた彼は、1-0より5-4の勝利を目指す。『防御はバックスを増やすだけでできる。創造性がない』と、カウンターサッカーを否定する。『小さなエリアでパスをすれば、ライバルを小さいスペースに封じ込められる』という戦術は面白い。また、傷害保険、年俸UP、試合数の削減など、選手が万全でプレーできる環境作りにも尽力。現在のフットボールは、身体能力や戦略を重視し、テクニックが疎かになっている。ボールを使って練習する時間が少なすぎる。
読了日:6月3日 著者:ミゲルアンヘルサントス
仕事力: 2週間で「できる人」になる (ちくま文庫)仕事力: 2週間で「できる人」になる (ちくま文庫)感想
『仕事力は、情熱と習慣のハイブリットだ』。仕事の質や効率を上げるために日々工夫し、習慣づける方法を学べた。仕事には面倒なところもあるが、日々進歩する実感があれば楽しくなり、生きる希望も湧く。そのために『仕事ノート』をつける。一週間で工夫したこと、学んだこと、次週の課題を書くようにする。毎週やれば、上達が習慣化する。また、何をしているのかをリアルタイムに記録すると、反省がしやすくなる。『記録を取り、次に活かす』ことができるのが社会人の必須能力なのだ。仕事は、やればやるほどうまくなる。これを合言葉に頑張ろう。
読了日:6月3日 著者:齋藤孝

読書メーター
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『1973年のピンボール』感想

概要

ストーリーが複雑で(というよりジャンクが多い)難解ではあるが、そのジャンクがいい。
箴言、名言、ストーリーが重なる点では聖書に似ている。

名言と出会うのにうってつけの本だ。


あらすじ

1973年、大学を卒業し翻訳で生計を立てていた『僕』は、『双子の女の子』と共同生活を始める。
そんなある日、『僕』の心をピンボールが捉える。
1970年のジェイズ・バーで『鼠』が好んでプレイし、その後僕も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台「スペースシップ」を捜し始める。
(wikipediaより引用)


出口のない世界

冒頭は「見知らぬ土地の話を聞くのが好きだった」から始まる。
いろんな人が「僕」に対して「自分の住む土地がいかにひどく」「でも自分はそこから出て行くことができない」と語る。
そんな閉塞感あふれる話を聴き続けた「僕」は『物事には入口と出口がなければならない』と思う。

入り口しかないものもある。たとえば、鼠捕り。
現実は鼠捕りのようなものなのだ。

例え自分の思うがままに生きていたとしても、ある日、身動きが取れなくなっている自分に気づく。
そして「なぜこんなところに来てしまったのか」と思う。「なぜあの入り口をくぐったのか」と。

『出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない』

この文章は素晴らしいと思う。文章を書く意味は、現実の意味を変えることにある。つまらないことも、こなれた文章で書けば、良い体験に変わったり、新たな意味を付与したりできる。袋小路に出口を 作れる。

本作では、どのようにして閉塞感あふれる現実から出口を見つけるのかに注目したい。


出口のないピンボール

『ピンポールの目的は自己表現にあるのではなく、自己改革にある。
 エゴの拡大ではなく、縮小にある。
 分析にではなく、包括にある』

ピンボールは、プレイヤーに「ハイスコアという目的」以外を許さない。しかも、ハイスコアには果てがないのだ。
現実とピンボールは、出口がない点が共通している。

自分を捨てて他人の決めたルールに従うしかない状況はとてもつらい。
「気づかないうちに、他人のルールの下で生きることを選ばされる」のはもっとつらい。
しかし、そこから出ても、また別の入り口へと迷いこんでしまうだろう。その迷路の名は「幸福」だ。
「僕」はどのように出口へ行くのだろう。




双子の女の子と配電盤が意味するもの

「僕」は双子の姉妹と同居している(経緯は不明)。
「村上朝日堂はいほー」によると、双子の良さは「ノンセクシュアルとであることが同時にセクシュアルであるというクールな背反性」だと言う。
「この子と寝たらどうなるんだろうと考えると、日常的なリアリティを越えてしまう」と。

私が百合姫やコミックLOが好きなのも同じ理由だ。
セクシュアルでありながら、セクシュアルを越える。セクシュアルという入り口から、全く別の出口へと繋がる。
そういうものを見ると、ささやかな希望を感じる。
「僕」も、双子の姉妹から出口の予感を感じ取っているのではないだろうか?

「僕」は双子の姉妹を区別できない。名前をつけても、どちらにつけた名前なのかわからなくなってしまう。
「僕」は双子に対して「出口のなさ」も同時に感じ取っている。世の中にはわからないこともあるのだ、と。

やがて、電話局が配電盤(電話回線を司る機械)を取り替えにくるが、古くなった配電盤を置き忘れてしまう。
配電盤は、電話で話される出口のない無駄話を吸い込みすぎた。
まるで敗血症の猫のように、体の隅々から石のように固くなる。長い時間をかけて。心臓が止まるまで。

そして配電盤は死ぬ。「僕」は葬式をする。

「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある。配電盤よ貯水池の下に底に安らかに眠れ」

という祈りをささげ、池に投げ入れる。
出口が見つからないのは、何かを誤解しているからなのだ。




本作は「僕」の他にもう一人重要な人物がいる。友人の「鼠」だ。もちろんアダ名。
鼠はジェイズ・バーに通い、マスターのジェイと静かに時を過ごす。
鼠は「時間の流れに取り残されている」と感じている。そして大学もやめる。
「お互い好きになれなかったんだ。僕の方も大学の方もね」と。

鼠は女と寝るが、彼女の洗練さに気後れする。

鼠「25年間生きて何一つ身につけなかった」
ジェイ「あたしは45年間かけてひとつしかわからなかった。どんなことからでも努力すれば何かを学べるってね。どんな髭剃りにも哲学はある
髭剃りには、髭を剃る以上の何かがあり、そこを感じることで、何かを得ることができる。

鼠は虚無感から抜け出すために、街を出ようとする。しかし、行き場はどこにもないと思っている。
「人間はみんな腐っていく」「どんな進歩もどんな変化も、結局は崩壊の過程にすぎない」と、鼠は言う。

変わっても変わらなくても、人間は腐る。鼠はどちらをとるか。

鼠に対しジェイは「ねえ、誰かが言ってたよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」と言う。
これは「自分のペースで歩け。休憩を忘れるな」ということだと思う。
自分のペースで進歩しないと、気づかないうちに悪い方へ行ってしまう。そして、気づいたときには止められなくなっている。

「みんながそんな風に問わず語らずに理解し合ったって何処にもいけやしないんだ」
「過ぎてしまえば夢みたいだ、と思えるようになるまでには随分時間がかかりそうな気がする」
と鼠は言う。

『出口とは何なのか、きちんと語らなければ、出口に行くことはできない』
『入口も出口も本当はなかったんだと思えるまでには時間がかかる』


ベストスコアという虚無感

中盤にて、僕と鼠の物語が交錯する。二人でジェイズ・バーで飲んでいたとき、そこにあったピンボールに心を奪われる。3フリッパーのスペースシップと呼ばれる、古き良きモデルだ。

二人は大学に殆ど行かず、給料のほとんどをピンボールにつぎ込む。
「僕のスコアは気球が最後の砂袋を投げ捨てるようにして6桁を越えた」は、その様子をうまく表している。
タバコの吸い殻を撒き散らし、鉛の味がするビールを飲みながら、ピンボールを打ち続ける。

ピンボールのガラス板に、様々な人が映し出される。
「あなたのせいじゃない。あなたはよくやったわ。すべては終わったの」とピンボールは言う。
「僕は何一つできなかった。うまく出来たはずなのに。何も終わっちゃいないんだ」と「僕」は言う。
何もできない。そしてその無力感は僕を支配し続けている。
ゲームで自分の無力感を埋めたい。でも、ゲームが上手くなって自信がついても、問題は相変わらず自分の目の前にある。それが嫌でますますゲームにのめり込む。

ゲーセンは潰れる。「しかるべき時がやってきて、誰もがピンボールをやめる」
その後「僕」は、スペースシップを探す。あるピンボールマニアの家を訪れ、倉庫でスペースシップと再開する。
そして「君のことはよく思い出すよ。そしてすごく惨めな気持ちになる」「ゲームはやらない。僕のベストスコアを汚したくないんだ」と言う。
やってもベストスコアは出せないし、出せない自分にイライラする。そのイライラが、封印した昔の無力感を引っ張り出してくる。

ピンボールが世間から消滅したことに対して「無から生じたものが元に戻った。それだけのことさ」と言う「僕」。
ピンボールは当時の「僕」の虚無感をたっぷり吸い込んで、徐々に固くなって死んだのだ。まるで配電盤みたいに。


出口はどこにあったのか

最後に「僕」は『僕達が歩んできた暗闇を振り返るとき、そこにあるものもやはり不確かな「おそらく」しかないと思う』と考える。
過去はそのままの形で人間の心にいるのではない。様々な変換可能性を抱いたまま眠っているのだ。呼び起こされたショックで、過去は如何ようにも変わってしまうのだ。

ピンボールは、1973年に「僕」が体感した虚無感を吸い込んで消えていった。
現実の問題に向かえなかった後悔から逃亡した果てに辿り着いたピンボール。
しかし、「僕」はピンボールと決別することで、虚無感から抜けだした。

虚無感から抜けるキーワードが「やれやれ」だと思う。
「やれやれ」は、不運を嘆きつつも「まあしょうがないか」と諦観する言葉だ。
その不運は自分の一部でもあるから、自分が引き受けないことにはどうしようもないのだ、と。
出口が見つからないのは、誰かが鼠捕りを仕掛けたからじゃない。自分が『鼠捕りに捉えられた』と認識したからだ。
そのことに気づけば出られる。入口も出口も鼠捕りも、全てが消滅する。

一方で鼠は、虚無感から抜けだせない。次の街へ行くことに希望がない。
「僕」はやれやれを使うが、鼠は使わなかったのだ。

仕事が上手くいかなくてやめる時も,やめる直前までは精一杯やる方がいい。
上司に引き止められたら「あれが僕のベストスコアだった。それを汚したくないんだ」と言う。
これで、仕事を配電盤のように、貯水池の下で眠らせることができる。
ピンボールに教訓があるとしたら、虚無感や後悔の処理の仕方だ。

この小説は、見事に出口を見つけ出した。
入り口も結局、自分が作り出した幻想に過ぎないのだ。

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