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自分流の観光

 観光はとても面白いが、困ることだってある。

 それは、帰って家族に「その城はだれが作ったのか」「いつの時代にできたのか」と聞かれたときに答えられないことだ。
 不思議なことに、全然覚えていない。展示に一通り目を走らせても、頭が追いつかないのである。

 しかし、そんなことが何度かあってから、僕は腹を括った。
「どうせ覚えらないんなら、最初から見ない」ことにしたのだ。
 そんなわけで、僕は岡山城と後楽園の歴史を全く知らない。知りたければwikipediaでも見ればいいんだ。
 
 代わりに何を覚えたのかというと、建物の造りだ。
 僕は小説を書くのが好きで、特にモノの様子を文章で表現するのに興味がある。
 その過程は、まさに発見の連続だ。自分の感覚に合う言葉を見つける度に、感覚が実感に変わっていく。

 また、美しい説明文を覚えるのも好きだ。
 強い野球チームに名捕手が必ずいるように、美しいモノには必ず名文がある。
 ソシュールは「言葉があるからモノが存在できる」と言った。美しい言葉は、心に美しい風景を作る。

 観光地に行くと、様々な情報がおせっかいなおばちゃんみたいに蔓延っている。
 大事なのは、そんな情報に対して「結構です、お構いなく」と言う勇気だと思う。 
 本当に必要なものは、自分の中にあるのだから。
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自分探しにおける物語の役割


 村上春樹講座にて。ノルウェイの森のテーマは「心と体の不一致」だそうだ。
 この小説には、心では愛しているけど体が反応せずに苦しみ、自殺する女性が描かれている。
 そこから想起したことを書きます。




★自分の物語と社会の物語の不一致

 大抵の悩みは何かと何かの不一致だ。
 雪がせつないのも、心ではいつまでも生きていたいのに体が消えてしまうからだろう。

 現代において最も深刻な不一致は「自分の物語と社会の物語の不一致」だ。
 例えば、他人のせいで自分が不幸になったという物語は、社会には否定される。

 ※注)
 物語とは「自分はこういう経験をしたからこういう人間になった」というフィクションのこと。
 「まっさらだった自分が、ある経験によって作り変えられた」と信じることだ。


★自分の物語と社会の物語を一致させる方法

 『1』一致する社会を作り出す

  ひきこもり 又は 自分探し。
  この行為の本質は、自己像を承認する社会を求めることだ。
  だから、知り合いがいない所へ行き、理想的な自己像ばかりを見せ、それを承認してもらおうとする。

 『2』自分の物語を社会に合わせる

  就活でやる自己分析。
  しかし、自分の物語をうまく合わせられない人はたくさんいる

 『3』合わせる必要なんてない

  合わせなくていいと思ってると、どんどんそういう人や情報が集まってくる。
  結果的に、自分と一致する社会ができあがる。


★自分のケースで考える

 僕自身は、引っ込み思案な性格を親のせいにしている。
 親はいつも僕に怒鳴ってばかりだった。
 僕が話をしようとすると、僕の言ってることが正しいのか一字一句確かめようとするかのような無邪気な目を向けてきた。
 僕は次第に、自分の本当の気持ちを隠すようになってしまった。

 そういう物語を他人に理解してもらうのは結構しんどいだろう。
 僕と全く同じ境遇の人に会っても難しいに違いない。
 おそらくそこでは、「どちらの傷がより深刻か」という、傷の測り合いがある。

 傷の深さは「自分の無垢性」と「他者の邪悪性」によって測られる。
 自分の無垢性は、幼い時に受けた傷や、自分に過失がない事故・災害の場合に保証される。
 しかし、人間は「無垢な人間が不幸になる」という事実には耐えられないので「本人に問題があったのでは?」と考えてしまうジレンマもある。

 社会に受け入れられる物語の数は徐々に増えている。
 同性愛の告白も「そういう人生もあるんだな」程度で認識してもらえる割合が高くなった。
 しかし、そうして物語が増えても、ひとつ問題が残される。


★本当にそれは「自分の」物語なのか

 僕は、性格を親のせいにしてる。
 それはあくまでも、そういう本(エニアグラム)を読んだからだ。
 読むまでは、自分に能力がないせいだと思っていた。
 当時流行っていた動物占いとか六星占術に感動していたら、僕はそっちを自分の物語にしていた。
 自分で選んだものが間違っていることはあり得る。


 「自分の物語と社会の物語が一致しない現代を生きる姿」を、新しい物語で捉え直した小説を書いたら、何か面白いものになりそうな気がする。

東京物語 感想



集団的自衛権の議論でときどき見かける『秋刀魚の味』を製作した小津安二郎監督。
その最人気作『東京物語』。

小津安二郎は独自の映像世界・映像美を持っている。
これは「小津調」と呼ばれる。
特徴としては以下のものが挙げられる。

・ロー・ポジションでとる
・カメラを固定してショット内の構図を変えない
・人物を相似形に画面内に配置する
・人物がカメラに向かってしゃべる
・クローズ・アップを用いず、きまったサイズのみでとる
・常に標準レンズを用いる
・ワイプなどの映画の技法的なものを排する
・日本の伝統的な生活様式へのこだわり
・反復の多い独特のセリフまわし
・同じ俳優・女優のキャスティング


僕が気に入ったのは太字のとこ。
このおかげで、なんというか落ち着く。
時間の流れがすごくゆっくりになる。

この映画は家族愛モノと聞いていたが、いきなり家族の仲が険悪になる。
幸一と志げは、わざわざやってきた両親(周吉、とみ)を放ったらかして仕事をする。
子どもたちも自分の部屋を寝床に使われて迷惑そうにしてる。
だからこそ母(とみ)の「勇ちゃんがお医者さんになる頃、おばあちゃん、おるかのう……」がぐっとくるんだけど。

幸一に代わって両親を東京案内するのはなんと、弟の嫁(紀子)である。
ようやく、家族っぽい和やかな雰囲気になる。
こういう、ほぼ他人みたいな人との家族関係が大事なんだろうな。
親子だと近すぎてギスギスする。
そういえば、サザエさんでも波平が怒鳴ってもマスオさんが出てくると収まる。
寅さんもそうだ。

幸一は、両親を箱根の旅館に行かせる。
ここでの両親の会話がいい。

「そろそろ帰ろうか」
「お父さん。もう帰りたいんじゃないですか?」
「お前がじゃろう。お前が帰りたいんじゃろう?」

小津の特徴である反復セリフ。
以心伝心な感じが伝わってくる名シーンだ。
他にもこういったシーンがある。

「お前はどう思う?」
「お父さんはどうです?」
「やっぱり子供のほうがええのう……」
「そうですなあ」

は、同調の仕方が上手い。

「ええ方じゃわい」
「ええ方ですとも」

お互いわかり合ってる相槌は気持ちいい。

そして、母(とみ)の死。
親族が葬儀に駆けつけるも、すぐに帰ってしまう。
その薄情さを嘆く。

「子供って大きくなると、だんだん親から離れていくものじゃないかしら。
 お姉様くらいになると、お姉様だけの生活があるのよ。
 誰だってみんな、自分の生活が一番大事になってくるのよ」
「私そんな風になりたくない。
 それじゃ親子なんて随分つまらない」
「そうねぇ。でも、皆そうなるんじゃないかしら」
「じゃ、お姉さんも?」
「ええ。なりたかないけど、やっぱりそうなっていくわよ」
「いやねぇ、世の中って」
「そう。嫌なことばっかり」


悲しい事実だが、視聴者は意外にもすんなりと受け入れられる
これが小津調の力。
カメラワークもさることながら、反復と同調が上手い。
まるで河合隼雄先生を見ているかのよう。

「私、狡いんです。
 いつもいつも昌二さん(亡くなった夫)のことばかり考えてるわけじゃないんです。
 この頃思い出さない日さえあって……忘れてる日が多いんです。
 私、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。
 このまま一人でいたら、一体どうなるんだろうって、夜中にふと考えたりすることがあるんです。
 一日一日、何事もなく過ぎていくのが、とっても寂しいんです。
 どこか心の隅で、何かを待ってるんです。
 狡いんです」
「ええんじゃよ。やっぱりあんたはええ人じゃ。正直で」



家族との距離感ってのは難しい。
有事の時だけ近づいて、他の時は放っとくことが多い。
でもそれは寂しいことだ。
結局それは、大事にしてないということだからだ。

僕は、用がない時は家族とあまり喋らない。
以心伝心で何かが伝わった経験もない。
でも、それではいけないと思う。
僕は話をするとき、無意識に衝突を避けようとするが、きちんと正面から行くこともするべきだ。
そうしないと、本当の繋がりは得られない。

他にも、細かい点ですが、面白かったとこ

昔の観光バス、バスが動く度にみんな揺れる。ノリノリな観客みたいになってて面白い。
戦後の家はドアあけると「ジリリリリ」って音がするんだな
先生が童貞を殺す服着てる。
「墓に布団はきせられぬ」という言い回し。

「子供が思い通りに育たない」と不満を言ってるのに対し
「これは親の欲じゃ。欲張ったらキリがない」。
愛ではなく欲である、と。



ちなみに、僕がこの映画を見たのは、小津安二郎青春館に行ったからだ。
小津監督の青春時代の記録、面白かった。
小学校の勉強の記録見て、作文が名作小説並みの雰囲気出してて驚いた。
書き出しの
「よみやの日は空に天の川の光。金星、木星等きらめいていた」
が異彩を放っている。
神輿の掛け声を聞いて
「素戔嗚尊の御気の荒い事を感じた」
なんて見事な感受性だ。

寝坊を「眠棒」と書いて筆を入れられてるのも面白い。
確かに、棒みたいに眠ってるもんね。
神楽の声、赤ちょうちん、涼風の音づれを聞いて「良い夜だ」なんて思うのも、僕の子供の頃の感性とは対極だと思った。
「良い夜だ」は今では老人っぽい台詞だ。
当時の子供も、今の老人と同じ心持ちだったのかな?


もし自分が作家デビューしたら、自分のこれまでの人生を読者に提示することになるかもしれない。
ノーベル文学賞とって記念館できたら絶対にそうなる。
その時、今の自分の幼少期を出したらどう思われるのだろう。
ひきこもってゲームばっかの人生見て「だから想像力が豊かなのか」と思われるのか?

僕の過去の成績表を出して、国語と図工の低評価を見られたら「日本の教育は想像力を評価していない」とか言われるのだろうか?
タイトルと名前と先生のコメント「どうしたの?」しか書いてない感想文を展示してもそう思われるのかな。
もしそうなら、作家になりやすい人生なんてないのかもしれない。

どう評価されるかなんて、見せてみないと意外とわからないものだ。
たとえ予想通りだとしても、よく観察すると自分の予想とは違うことだってある。
そこから次の行動が生まれることもある。
やらない内から悩んだり、過去を振り返ったりしてもあまり意味はない。
できることからやろう。

そんなことを思った。

虚白ノ夢 感想(ネタバレ控えめ)

フリーゲーム、虚白ノ夢プレイしました。
プレー時間は3時間くらい。気にいった文章をメモったり、自分の人生について考えたりした分(?)長め。

ダウンロードはこちら

虚白の夢


碓氷深白は17回目の誕生日を迎えることなく身投げし、目が覚めると『鏡の世界』にいた。

『この世界に点在する、あなたの姿が映る鏡は、あなたの記憶を写す鏡。
 記憶を取り戻すこと、それは同時にあなたの望みを叶えること』

私の人生が初めから存在しなかったことにする」ために、彼女は自分の姿が映る鏡を見つけ、割っていくが……?


謎解きをしながら進めていくホラーゲームです。
ホラー要素が中々手が込んでて、かなり怖かったです。
急に襲ってくる敵とか、抜ける足場とか、飛び立つコウモリとかが怖かった。
特に怖いのはED5のいじめっ子達をメッタ刺しにするとこですね。
悲鳴を聞きながらZボタン押しまくり。手が震えました。

謎解き要素も、バリエーションに富んでて面白い。
破顔の晩餐会は特に良かった。無理して笑い続けるパーティー……怖すぎる。

このゲームの好きなとこは、鏡を見るうちに深白が死んだ理由や深白の生い立ちが徐々に明らかになるところです。
こんな救いようのない記憶ばかりが戻ってきて、どうやって幸せになったらいいのか。
なんとなく、自分の人生を重ねあわせて見てしまい『どうか幸せになって欲しい』と願いながらのプレイでした。
他にも2人、『鏡の世界』に迷い込んだ人がいるのですが、この2人とシナリオの絡み具合も最高でした。
この2人の協力でEDが変わっていくのも好きです。

シナリオが気になって進めたゲームなんて「FF6」以来ですね。
あれはほんとに世界が終わるんじゃないかと思い、眠れなかったのを覚えてます。

他に好きなのは、自殺シーンとか流血シーンの描写ですね。
大抵のゲームだと、こういうシーンが繰り返し出ると淡々としがちですが、このゲームはリアルに感じました。
多分、文章が巧みなおかげでしょう。
生々しい感覚が、スクリーン越しでも伝わってきます。

ホラー良し、謎解き良し、シナリオ良しの作品。
是非プレイして欲しいです。

少年Aの出版について

NHK「自分の存在を確立したい」「自分のことをわかって欲しい」という理由で本を書く。

2日のクローズアップ現代、少年Aの出版の是非についての特集を見る。
出版は当然ダメだとして「犯罪者が自伝を書く、多数の人が読む」のがどうして重要なのか考えてみる。
あと、ゴーストライターが書いてる可能性も無視している。

自伝を書くとは「自分の人生を、他者に受け入れられる形に作り直すこと」である。
作り直すというのは、もちろん改ざんも含まれる。

僕は日記をつけているが、日記ではちょくちょく嘘を書く。
大したことをやってなくても、やっぱり書く以上は何かあったことにしないといけないからだ。
そう思って必死に思い出すと、自分が意外と面白いことをやっていたことに気づく。
たとえそれが嘘だったとしても、ほんとうにあったことのように思えてしまう。

例えば、ラーメンが自分の好みでなかった場合「店に入った時からそういう予感はあった」と嘘を書く。
不思議なもので、こう書くと「店員の態度の悪さ」とかが鮮明に思い出される。
(食べたときはそんなこと思ってないのに)

こういった改ざんは無意識に行われる。
そして、改ざんによって、自分一人でやった行為だとしても「社会と繋がっている」という感覚が得られる。

なので、自伝を書くのは更生としては有効だと思う。
だが、事実が書いてあると考えるのは危険である。
書いてあるのは少年Aにとっての真実のみだ。

 ◆◇◆◇

「社会が、犯罪者の自伝を読むことによって得られる効能」。

ヒトラーの『わが闘争』を漫画版で読んだことがある。

ヒトラーは
『ユダヤ人は多大な資本を使い、労働者であるドイツ人を支配している』
『ドイツを元に戻すには、ユダヤ人の殲滅が必要だ』
と主張した。

僕は、ヒトラーの考えはそんなに変ではない、と感じた。
ユダヤ人を『自民党』『マスコミ』とかに置き換えたら、今の日本と変わらない気がする。

なので、この少年Aの本を読むことによって、少年Aの行為が変ではないと感じる人が増えるのではないか。
少年A本の読者10万人に「この事件の原因は『少年A、(少年Aの)親、社会』のどれですか」というアンケートとったらどうなるんだろう。
個人的には「20、40、40」くらいになると思ってる。
犯罪者の出版は「犯罪者が100%悪い」という社会的同意がないと問題だ。

もちろん「不幸に陥っているときは、自分の判断力を過信しないほうがいい」みたいな教訓もつくれる。
だが、そういうのは羅生門でも読めばいい。

少年Aの本が読まれる必要はない。

Anitubeの動画を簡単にダウンロード

Anitubeのダウンロード方法を調べると、無料のダウンロードソフトをインストールするよう勧められる。
しかし、ダウンロードソフトはインストールや設定が面倒くさい。
それに、欲しい動画があれば、別ソフトを起動せずにブラウザでやりたい。

と、そこで以下の記事を思い出す。

ニコニコ動画の動画をChromeで簡単にダウンロードする方法

このやり方でAnitubeも取れました。
唯一違うのは、動画ファイルを探すとこ。

『Time』を昇順(▲)にすると一番下に表示されます。
ファイルのタイプがvideoになってるのが、お目当てのブツです。

資格がナンボのものであるか

 重大な危機だ。我が校の今年の就職率が芳しくない。
 すでに5月中旬にもかかわらず、1次試験すら受けてない者もいる(わたしもその一人だ)。
 就職課は学生達に「説明会だけでも出て下さい」と呼びかけているが、効果は就職担当者の毛髪同様、薄そうだ。

 原因は(安倍内閣を批判する絶好の機会なのに)学生のスタートの遅さや意識の問題だと思われている。
 しかし、わたしはそれ以外の説(主に、わたしが不利にならない説)を提案したい。

 就職活動をしない理由を聞くと、最も多いのは「資格の勉強をしてたから」だ(次に多かったのは「これから頑張るため」だった)。以上の点から、類まれなる論理的思考力の無い人なら、資格が問題だと分かるだろう。

 資格試験の問題点は、1点を争う熾烈さではない。試験採点者の無慈悲な性格にある。
 彼らは、誤答の概念がはっきりしていないのを良いことに、自分達の気分で正誤を決めている恐れがある。
 わたしは採点者の虚偽を咎めたいという正義感のなすまま、履歴書を書く時間を泣く泣く削り、誤答の概念をハッキリとさせたいと思う次第だ。


 さて、解答例と違うことを書いていれば、誤答になるのか。嬉しい事に、答えは「ノー」だ。以下にその事例を挙げる。

(1)その解答をしても誤答になることを知らなかった場合。
  例えば、3歳位の子供が違うことを書いた場合は、誤答とはみなされない。
  また、東方椰麟祭に来たはずがテスト会場に来てしまい、アンケートと間違えて解答した場合も同様である。

(2)解答した際、気絶などで意識がなかった場合、誤答したとはいえない。
  心神耗弱者が犯罪をしても罪にならないように、正常な意識を失っていたら誤答行為の責任ある主体とはみなされない。

(3)誤答する意図がなかった場合、間違えても誤答とはみなされない。
  意図がなくても間違えてしまうことはある。例えば、居眠りしてミミズを書いた場合だ。
  また、謝罪会見で「そのような意図は全くない」と言えば許される場合がある。国のトップが立証しているのだから、極めて有力な根拠だ。

(4)解答する際に仲介者がいた場合。
  常識的には、A社が工事を引き受け、中抜きだけしてB社に丸投げした場合、A社が工事をしたとは言わない。
  この事例をモデルケースにし、自分の人格を分ければ良いのだ。
  例えば、自分を国に例えて「私の依頼を資格取得大臣が引き受け、昼寝大臣に丸投げした」とか「ワナビ大臣が引き受けて、小説のネタにした」などが考えられる。


 以上の点を根拠にIPAに訴えれば、最低でも1・2点くらいは上がるはずだろう。
(受け入れられなくても、根気良く納豆を投げつけるなどすれば、いつかは折れる)
 そうなれば、来年は資格取得のために就活を疎かにすることは無くなるだろう。
 惜しむらくは、その時はわたしが卒業していることだ。

親指シフトデビュー

今日から親指シフト始めます。
入力速度が1.7倍になるという文句に惹かれました。
即興小説バトルで6000字オーバー行けるか??(現在2000字)

使用してるのはエミュレータのやまぶきRです。
配列はNicola、左親指シフトはspaceキー。
配列表はこのサイトから頂きました。PCの右後ろに立ててます。

配列は他にもあるみたいですが、よくわからないので(比較サイト欲しいなぁ)無難に標準系を使います。

練習はNICOLA派宣言でやります。

一応、SEに就職する予定なので、ローマ字打ちの方がプログラミングに近くて良いかなぁ……と思ってました。
しかし、毎週のように即興小説バトルで実力差を見せつけられると、黙ってはいられまい。

目指せ時速6000文字!!

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

常識とは何か

 就職対策授業のテストを受けてきた。一次選考で課されることのある、一般常識やSPIの対策だそうだ。
 私は体調が悪かったので、いつも通りできた。

 しかし、この試験で問われているのは本当に一般常識なのだろうか?
 常識とは、Wikipediaによると「社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力」である。
 4文字熟語や古典文学などの知識は、使われる機会がないのに、有していて当たり前なのだろうか(その一方、私は人に使われる機会が多いが、常識がないと言われる)。

 古典文学の知識は必要なのか? 作品名と作者と冒頭の一文だけを覚えて、一体何の意味があるのか。
 我々は一応、作品名と作者と冒頭部を知っていれば、その作品を知っていると判断している。
 人間についても「ああ、人事課の山田さんね」と言えば、その人物を知っていることになる。
 だが、知っていることに意味があるのか、と言いたい(授業担当の先生には、平常点が下がるので言いたくない)。

 私はニュースを見ないため、オリンピック選手の名前を知らない。
 それを知ると、私の周りの人間は鬼の首を取ったように私を馬鹿にする。知っていることがそんなに重要か。
 そのくせ、アルゴリズム等のテストができなかった場合「難しかったからしょうがない」と言って弁解するのだ。

 私は、以上の疑問を解決するため「常識とは、常識があることを誇示するための知識である」という理論を打ち立てた。「知っていることに意味がある」と言われるものが常識なのだ。
 また、いざという時に備えて「常識を疑うのが常識」「細かくツッコまないのが常識」という常識も付け加えておいた。

 もっと書きたいことがあるが、ここらへんで打ち切ろう。さっきから親が「夜は寝るのが常識だ」と言っているのだ。

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お前の噂を聞きたい。私たちを忘れろ。手紙も書くな。

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齋藤孝先生の「就職力」に載っていた映画です。
「見ると良い」とだけしか書かれていませんでしたが、見終わって「見てよかった」と思いました。

イタリアの映画館の話なのですが、観客の騒がしさが好きでした。
みんなで笑い合ったり、検閲されたキスシーンにみんなでブーイングしたり……。
なんだか暖かいのです。
映画は黙って見るものだと思いましたが、こういう見方も面白いですね。

映画を見に来ているのは、変な人ばかり。
「字が読めない」「私もだ」
「私は寝にきたんだ」
「こいつをつまみ出せ。もう10回も見てる」
こんな台詞が飛び交っています。

九九ができなくて体罰を受けた子も、一緒に見て笑っている。
ちょっとタバコを吹かしながら……(良いのか?)
でも、逃避という感じは全然ない。
『第二の家族に包まれている』という感じです。


さて、ストーリーは……

映画監督サルヴァトーレは、故郷の母からアルフレード(師匠)が死んだという知らせを受け取ります。
サルヴァトーレはベッドで寝ながら昔を思い出します。
サルヴァトーレは、30年くらい前に故郷を出て以降、一度も故郷に帰って来ていないのです。一体なぜなのか?

少年時代、「トト」と呼ばれていたサルヴァトーレは、映画に魅了されます。
そして、何度も映写室に入り込んで、映写技師のアルフレードにつまみ出されます。
このシーン――アルフレードがお茶目です。

「(切り取られた検閲シーンの山を)もらっていい?」
「後で戻すからだめだ」
「どうして(戻さずに)そのままなの?」
「どれがどの映画なのかわからなくなったんだ」

「わかった。あの山はお前にやる。その代わり、俺が管理する」

アルフレードが、トトと一緒にテストを受けるシーンでは
「頼む。教えてくれ」
という始末です。

格好いいシーンもあります。
トトが、牛乳を買うための50リラで映画を見てしまい、親に叱られているときに
「今日の落し物に50リラがあった」
と言って、50リラをトトに渡します。

そして、アルフレードはトトに映写機の操作を教えるようになります。
アルフレードは、営業終了後も「映画を見たい」という観客のために、広場の壁に映画を映し出します。
このシーンは、映画技師の楽しさをトトに教えたシーンだと思います。
観客がサプライズに歓喜する様は、仕事の楽しさとして残るでしょう。

しかし、その結果映画館が火事になり、フィルムを救い出そうとしたアルフレードは火傷で視力を失います。
そしてトトは、新しく建て直された映画館「ニュー・シネマ・パラダイス」で映写技師として働き出します。


トトは成長すると、エレナという恋人が出来ます。
彼はエレナを追いかけますが、やがてエレナは音信不通に。

落ち込むトトにアルフレードはこう言います。

「人生はお前が観た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。
村を出ろ。ローマに戻れ。もうお前とは話したくない。お前の噂を聞きたい。
帰ってくるな。ノスタルジーに惑わされるな。私たちを忘れろ。手紙も書くな。
我慢できずに帰って来ても、私の家には迎えてやらない。
自分がすることを愛せ。子どもの頃に映画館を愛したように」


トトはその言葉に従って列車に乗り、ローマに向け旅立ちます。

この台詞、普通とはまるで違いますよね。
「私たちを忘れろ」と言って送り出す人はいないでしょう。
逆に「時々は思い出してくれ」「手紙を送ってくれ」と言いそうです。

トトはこの言葉で、故郷への思いを一層強くしたと思います。
しかし、帰ることはできない。だから映画の原動力にしたのでしょう。


30年後、映画人として成功したサルヴァトーレは、アルフレードの葬儀に出席するため、故郷に帰ります。
そこで、アルフレードが彼に遺した形見を渡されます。
それは、検閲されたラブシーンばかりを繋げた一本の映画でした。



このシーンがクライマックス。
別れ際に「私たちを忘れろ」と言っていたアルフレードが、「思い出してくれ」と言っているような気がします。
故郷や恋人への未練を絶ち、今まで頑張ったトトへのご褒美なのでしょう。



テーマ : 映画レビュー - ジャンル : 映画

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