回転木馬のデッド・ヒート 感想


回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

あらすじ

他人から聞いた話を小説にした短編集。
表題の「回転木馬のデッド・ヒート」は、前書きとして登場する。

他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉えられていくことになる。我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。

我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。

それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。

しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える



我々は自分で人生を決めたはずが、あるとき、別の人生を選べなくなっていることに気づく。
いつのまにか、人生に自分自身が操られている。
そして、目的地を見失ったまま、どこかへ向かって必死に走り続けている。

それは性格にもいえることだ。
我々は、別の性格を選ぶことはできないと考えている。
しかし、性格とは『自分で選んだ個々の行動の総称』である。

物事に真剣に取り組めば「真面目な性格」になるし、
他人の世話をたくさんすれば「面倒見の良い性格」になる。
それなのに我々は『性格に自分自身が操られている』ように感じる。

そして、人生のある地点を境にして、人は何かに操られるかのように悪い方へと向かっていく。


表現技巧

全作に共通するのは 「うまくいっていたことが、突然うまくいかなくなる」 ということだ。
 「うまくいっていたことが、突然うまくいかなくなる」ことが、どのように書かれているのか説明する。

母にわかることは、そのレーダーホーゼンをはいた男をじっと見ているうちに父親に対する耐え難いほどの嫌悪感が体の芯から泡のように湧きおこってきたということだけなの。


正直に言って、実際にこんな風にはっきりと感じたのは僕にとってははじめてなんだよ。つまり、自分の中に名状しがたい把握不能の何かがひそんでいることを感じたのはさ。


彼女はそういう感情的な訓練を一度も受けたことがなかった


理由なく始まったものは理由なく終わる。逆もまた真なり。


どうしてそんなことを言ってしまったのか、自分でも理解できなかった。でもその言葉がごく自然に口をついて出てしまったのだ。


僕にはもう彼女の生活を覗かないでいることができなくなっていた。


ただ僕はある日突然、無性にナイフというものが欲しくなったんです。


「なぜそうしたのかわからない」「○○しかできなかった」など、何かの力に操られたことが伺える。


感想

これは成長するなるための小説だと思う。
成長するには、うまくいかなかったことを分析し、対策を立てなくてはならない。
しかし世の中には、どうあっても分析できない上に、直視を迫る問題がある。

そういった問題に立ち向かう際に必要なのが、この物語のように、誰かに語ることだ。
分析できない事柄を「何かが原因で分析できない」と語ることで、はじめて問題を直視し、受け入れることができる。
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『1973年のピンボール』感想

概要

ストーリーが複雑で(というよりジャンクが多い)難解ではあるが、そのジャンクがいい。
箴言、名言、ストーリーが重なる点では聖書に似ている。

名言と出会うのにうってつけの本だ。


あらすじ

1973年、大学を卒業し翻訳で生計を立てていた『僕』は、『双子の女の子』と共同生活を始める。
そんなある日、『僕』の心をピンボールが捉える。
1970年のジェイズ・バーで『鼠』が好んでプレイし、その後僕も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台「スペースシップ」を捜し始める。
(wikipediaより引用)


出口のない世界

冒頭は「見知らぬ土地の話を聞くのが好きだった」から始まる。
いろんな人が「僕」に対して「自分の住む土地がいかにひどく」「でも自分はそこから出て行くことができない」と語る。
そんな閉塞感あふれる話を聴き続けた「僕」は『物事には入口と出口がなければならない』と思う。

入り口しかないものもある。たとえば、鼠捕り。
現実は鼠捕りのようなものなのだ。

例え自分の思うがままに生きていたとしても、ある日、身動きが取れなくなっている自分に気づく。
そして「なぜこんなところに来てしまったのか」と思う。「なぜあの入り口をくぐったのか」と。

『出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない』

この文章は素晴らしいと思う。文章を書く意味は、現実の意味を変えることにある。つまらないことも、こなれた文章で書けば、良い体験に変わったり、新たな意味を付与したりできる。袋小路に出口を 作れる。

本作では、どのようにして閉塞感あふれる現実から出口を見つけるのかに注目したい。


出口のないピンボール

『ピンポールの目的は自己表現にあるのではなく、自己改革にある。
 エゴの拡大ではなく、縮小にある。
 分析にではなく、包括にある』

ピンボールは、プレイヤーに「ハイスコアという目的」以外を許さない。しかも、ハイスコアには果てがないのだ。
現実とピンボールは、出口がない点が共通している。

自分を捨てて他人の決めたルールに従うしかない状況はとてもつらい。
「気づかないうちに、他人のルールの下で生きることを選ばされる」のはもっとつらい。
しかし、そこから出ても、また別の入り口へと迷いこんでしまうだろう。その迷路の名は「幸福」だ。
「僕」はどのように出口へ行くのだろう。




双子の女の子と配電盤が意味するもの

「僕」は双子の姉妹と同居している(経緯は不明)。
「村上朝日堂はいほー」によると、双子の良さは「ノンセクシュアルとであることが同時にセクシュアルであるというクールな背反性」だと言う。
「この子と寝たらどうなるんだろうと考えると、日常的なリアリティを越えてしまう」と。

私が百合姫やコミックLOが好きなのも同じ理由だ。
セクシュアルでありながら、セクシュアルを越える。セクシュアルという入り口から、全く別の出口へと繋がる。
そういうものを見ると、ささやかな希望を感じる。
「僕」も、双子の姉妹から出口の予感を感じ取っているのではないだろうか?

「僕」は双子の姉妹を区別できない。名前をつけても、どちらにつけた名前なのかわからなくなってしまう。
「僕」は双子に対して「出口のなさ」も同時に感じ取っている。世の中にはわからないこともあるのだ、と。

やがて、電話局が配電盤(電話回線を司る機械)を取り替えにくるが、古くなった配電盤を置き忘れてしまう。
配電盤は、電話で話される出口のない無駄話を吸い込みすぎた。
まるで敗血症の猫のように、体の隅々から石のように固くなる。長い時間をかけて。心臓が止まるまで。

そして配電盤は死ぬ。「僕」は葬式をする。

「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある。配電盤よ貯水池の下に底に安らかに眠れ」

という祈りをささげ、池に投げ入れる。
出口が見つからないのは、何かを誤解しているからなのだ。




本作は「僕」の他にもう一人重要な人物がいる。友人の「鼠」だ。もちろんアダ名。
鼠はジェイズ・バーに通い、マスターのジェイと静かに時を過ごす。
鼠は「時間の流れに取り残されている」と感じている。そして大学もやめる。
「お互い好きになれなかったんだ。僕の方も大学の方もね」と。

鼠は女と寝るが、彼女の洗練さに気後れする。

鼠「25年間生きて何一つ身につけなかった」
ジェイ「あたしは45年間かけてひとつしかわからなかった。どんなことからでも努力すれば何かを学べるってね。どんな髭剃りにも哲学はある
髭剃りには、髭を剃る以上の何かがあり、そこを感じることで、何かを得ることができる。

鼠は虚無感から抜け出すために、街を出ようとする。しかし、行き場はどこにもないと思っている。
「人間はみんな腐っていく」「どんな進歩もどんな変化も、結局は崩壊の過程にすぎない」と、鼠は言う。

変わっても変わらなくても、人間は腐る。鼠はどちらをとるか。

鼠に対しジェイは「ねえ、誰かが言ってたよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」と言う。
これは「自分のペースで歩け。休憩を忘れるな」ということだと思う。
自分のペースで進歩しないと、気づかないうちに悪い方へ行ってしまう。そして、気づいたときには止められなくなっている。

「みんながそんな風に問わず語らずに理解し合ったって何処にもいけやしないんだ」
「過ぎてしまえば夢みたいだ、と思えるようになるまでには随分時間がかかりそうな気がする」
と鼠は言う。

『出口とは何なのか、きちんと語らなければ、出口に行くことはできない』
『入口も出口も本当はなかったんだと思えるまでには時間がかかる』


ベストスコアという虚無感

中盤にて、僕と鼠の物語が交錯する。二人でジェイズ・バーで飲んでいたとき、そこにあったピンボールに心を奪われる。3フリッパーのスペースシップと呼ばれる、古き良きモデルだ。

二人は大学に殆ど行かず、給料のほとんどをピンボールにつぎ込む。
「僕のスコアは気球が最後の砂袋を投げ捨てるようにして6桁を越えた」は、その様子をうまく表している。
タバコの吸い殻を撒き散らし、鉛の味がするビールを飲みながら、ピンボールを打ち続ける。

ピンボールのガラス板に、様々な人が映し出される。
「あなたのせいじゃない。あなたはよくやったわ。すべては終わったの」とピンボールは言う。
「僕は何一つできなかった。うまく出来たはずなのに。何も終わっちゃいないんだ」と「僕」は言う。
何もできない。そしてその無力感は僕を支配し続けている。
ゲームで自分の無力感を埋めたい。でも、ゲームが上手くなって自信がついても、問題は相変わらず自分の目の前にある。それが嫌でますますゲームにのめり込む。

ゲーセンは潰れる。「しかるべき時がやってきて、誰もがピンボールをやめる」
その後「僕」は、スペースシップを探す。あるピンボールマニアの家を訪れ、倉庫でスペースシップと再開する。
そして「君のことはよく思い出すよ。そしてすごく惨めな気持ちになる」「ゲームはやらない。僕のベストスコアを汚したくないんだ」と言う。
やってもベストスコアは出せないし、出せない自分にイライラする。そのイライラが、封印した昔の無力感を引っ張り出してくる。

ピンボールが世間から消滅したことに対して「無から生じたものが元に戻った。それだけのことさ」と言う「僕」。
ピンボールは当時の「僕」の虚無感をたっぷり吸い込んで、徐々に固くなって死んだのだ。まるで配電盤みたいに。


出口はどこにあったのか

最後に「僕」は『僕達が歩んできた暗闇を振り返るとき、そこにあるものもやはり不確かな「おそらく」しかないと思う』と考える。
過去はそのままの形で人間の心にいるのではない。様々な変換可能性を抱いたまま眠っているのだ。呼び起こされたショックで、過去は如何ようにも変わってしまうのだ。

ピンボールは、1973年に「僕」が体感した虚無感を吸い込んで消えていった。
現実の問題に向かえなかった後悔から逃亡した果てに辿り着いたピンボール。
しかし、「僕」はピンボールと決別することで、虚無感から抜けだした。

虚無感から抜けるキーワードが「やれやれ」だと思う。
「やれやれ」は、不運を嘆きつつも「まあしょうがないか」と諦観する言葉だ。
その不運は自分の一部でもあるから、自分が引き受けないことにはどうしようもないのだ、と。
出口が見つからないのは、誰かが鼠捕りを仕掛けたからじゃない。自分が『鼠捕りに捉えられた』と認識したからだ。
そのことに気づけば出られる。入口も出口も鼠捕りも、全てが消滅する。

一方で鼠は、虚無感から抜けだせない。次の街へ行くことに希望がない。
「僕」はやれやれを使うが、鼠は使わなかったのだ。

仕事が上手くいかなくてやめる時も,やめる直前までは精一杯やる方がいい。
上司に引き止められたら「あれが僕のベストスコアだった。それを汚したくないんだ」と言う。
これで、仕事を配電盤のように、貯水池の下で眠らせることができる。
ピンボールに教訓があるとしたら、虚無感や後悔の処理の仕方だ。

この小説は、見事に出口を見つけ出した。
入り口も結局、自分が作り出した幻想に過ぎないのだ。

『カンガルー日和』の感想文

読んだきっかけ


この短編集は、即興小説トレーニングのお手本にするために買った。一作品が4000字くらいなので、バトル用にちょうどいい。
もちろん、作品自体も素晴らしいので、読書用でもある。今回は、表題作の『カンガルー日和』を紹介したい。

あらすじ


僕と彼女は、新聞でカンガルーの赤ちゃんの誕生を知り、一カ月間、カンガルーの赤ん坊を見物するに相応しい朝の到来を待ち続ける。
『この機会を逃すと二度とカンガルーの赤ちゃんを見られないような気がする』
不安を抱えて行くと、赤ちゃんはもう子供くらいの大きさになっていた。

子供の大きさくらいになっても、一人で生きるには弱いらしく、母親の袋に入る。
僕たちは、カンガルーの赤ちゃんが保護されているところを見て安心する。
失われた音符を探す枯れた作曲家のような雄、走り回るミステリアスな雌、親子。
4匹のカンガルーを見て、久しぶりに暑い一日になりそうだと思う。


カンガルー日和とはどんな日なのか


僕がこの作品を好きなのは『特別を演出する魔法が詰まっている』から。
「一ヶ月間、カンガルーの赤ん坊を見物するに相応しい朝の到来を待ち続けていた」
「朝起きてカーテンを開け、その日がカンガルー日和であることを一瞬の内に確認した」

『なんとなく行く気になれない』気持ちを、特別にしている。

僕は、この本のエッセンスは『○○日和の作り方』だと思う。
何かをするに相応しい日というのは通常、客観的に決められている。
しかし、この作品ではカンガルー日和がいつなのかを自分で決めている。
そうすることで、自分の気持ちが和らぎ、豊かになる。

『なぜこの日がカンガルー日和なのか』。本文を見てみよう。
僕と彼女は、新聞でカンガルーの赤ちゃんの誕生を知って以来、赤ちゃんを見るに相応しい日を待つ。
しかしそんな日はなかなかこない。
雨が降ったり、いやな風が吹いていたり、虫歯が痛んだり、区役所に行ったりする。
そしてある日、朝起きてカーテンを開け、その日がカンガルー日和であることを一瞬の内に確認する。

「カンガルー日和でない理由」はたくさんあるが「カンガルー日和である理由」は何も書かれていない。
そこがこの作品のポイント。
なぜカンガルー日和なのかは、読者が考えなければならないのだ。
もし作者がカンガルー日和の条件を提示したとしたら、その条件が満たされない日はカンガルー日和ではなくなってしまう。

恋愛でも、相手を好きな理由を挙げると、その理由がなくなった途端に好きでなくなってしまうことがある。
本当に好きな時には、理由を言えないのだ。(突然の冬ソナ)

教科書での読まれ方


本作は高校国語の教科書に載っている。課題にチャレンジし、教科書の狙いを探ってみよう。

「これから先、カンガルーの赤ちゃんを見るって自信ある?」
「どうしてカンガルーの赤ちゃんだけが問題になるのだろう」
「カンガルーの赤ちゃんだからよ」
と言う会話があるが、なぜカンガルーの赤ちゃんだからか?

そ、そこか。女の言葉に論理なんてないよ……
まあ、出題の意図を汲むと「彼女にとってカンガルーの赤ちゃんはどういう存在か」を答えるべきだろう。
彼女は、カンガルーの赤ちゃんが母親の袋の中に入ってないとこを見てがっかりし、袋の中に入ってるのを見ると「袋の中に入るのって素敵」「保護されてるのね」と言う。
「袋に入る」とはどういうことか?

1:「退行」
人間は不安になると、子供返りすることがある。
ガムやタバコは母乳の感覚を思い出そうとしてる(口唇欲求)、自分の体を触るのは母親に抱きしめられた時のことを思い出してるから。
彼女も何か不安を抱えていて、それを和らげるために保護されている赤ちゃんを見ている。

2:「疑似懐妊」
最後のシーンで、父親カンガルーは失われた音符を探し、母親じゃないほうのカンガルーは目いっぱい駆け回る。
「久しぶりに暑い一日になりそうだった」と僕は思う。
これは性行為の予兆なのではないか。
その後の「ビールでも飲まない?」は、実は誘い文句なのだ。

「失われた音符」とは何か
という比喩も問題になっているので、そちらにも触れる。

これはイマジネーションが欠けた状態を指す。
直観が働かないので、今日がカンガルー日和なのかどうかもわからない
一方、母親じゃないほうの雌カンガルーは元気一杯なので、こっちは「今日は絶好の人間日和だ」と思ってるのかも

比喩というのは感情移入と同じ。
つまり、父親カンガルーを見て「才能の枯れた作曲家」と思うのは、自分自身の才能(直感力)が枯れているからだ。
彼女とどのタイミングで子供を作るための性行為をするのか、図りかねている。
しかし、今日が絶好のカンガルー日和だったと感じることで、直感を取り戻す。

カンガルー日和とは、すなわち『セックス日和』なのだ。

村上春樹は、どんな日にセックスをしたくなるのかを、カンガルーに例えているのだ。

教科書ガイドには「カンガルー見て子供の心を取り戻す」と書いてあるが、こういう読み方があってもいいと思う。


僕がカンガルー日和を好きな理由は『我々は朝の6時に目覚め、窓のカーテンを開け、それがカンガルー日和であることを一瞬のうちに確認した』という一文が魅力的だから。
現象学でいうと、一部を見るだけで全体像が浮かび上がってくる感じ。
限りないものを一文に詰め込んだ村上春樹はやっぱりすごい。


国境の南、太陽の西


国境の南、太陽の西 (講談社文庫)
国境の南、太陽の西 (講談社文庫)村上 春樹

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「一人っ子は両親に甘やかされてる」という定説が蔓延る中、
ハジメは一人っ子として生まれ、同じ一人っ子の島本さんと惹かれ合う。

自分には何かが欠けていて、埋められるのはこの人しかいない
「何かが欠けている」というのがこの話では重要だ。


主人公の生まれた1951年の空気は重い。
「一人っ子」だと言われる度に主人公のハジメは「不完全さ」を突きつけられる。
実際にどういう感じなのか、どういう風に変わっていると見られてるのか具体的には書いてない。
もしかしたらハジメが意識しすぎなのかもしれない。
でも、本人にとっては切実だ。

僕は小学校のとき、「長子」だけがもらえるプリントが貰えるのが羨ましかった。
まあ、半分くらいしか貰える人はいなかったけど、あれを貰えないと一人前じゃない気がしていた。
僕には3つ上の兄がいて、兄に勝てるとこがなくて劣等感を感じていた。
変な話だけど「自分が劣っているからプリントが貰えない」と思っていた。

ハジメは最後までこの欠落を埋めることができない。
それはウィトゲンシュタインの言う「語りえぬもの」だからだ。
自分が感じているものを「欠落」と言う言葉で表現したせいで、
どこかに埋めるものが存在すると勘違いするのだ。
そのせいで最後は「欠落は僕自身だ」という風に自分を追い詰めてしまう。

「自分を変える」という言葉があるせいで、自分の人格が取替え可能な部品だと勘違いしてしまい、自己否定をする。
犯罪を犯しても「カッとなってやった」など、その犯行をしたときは別人格だったように言う。
「自分を探す」という言葉のせいで「自分の人格がどこかで絶対的に存在する」と勘違いする。

だが「欠落を埋める」のは、古来から物語が持っていた性質だ。
物語は、最初に主人公の欠落を提示し、埋める過程を示すものだった。
エニアグラムという性格分類のコアも欠落だ。
幼少期の欠落が性格を作る。
欠落を埋めないと他人との関係が上手くいかない。
でも欠落があるからこそ、他人に優しくできる。

僕の欠落は「自分のなさ」だと思う。
自己表現が苦手で、他人と雑談をするのも苦手。おかげで声も小さい。
感想文も大人になるまで全く書けなかった。
自分の感覚というのがよくわからなかった。
というか、自分の考えや思いが相手に受け入れられるというのが実感できなかった。

そういった「空虚」を埋めるためには、感情ではなく理論に頼るしかなかった。
僕は科学雑誌とか図鑑とかを熱心に見ていて、それについて語るようになった。
こういうのには感想はいらない。
ただ「何が書いてあったか」を説明するだけで、みんなが感心して聞いてくれる。
自分の感情を考える必要はなく、ずいぶん楽だった。

また、他の人も同じように、欠落を埋めるために必死なんだと思うようになった。
みんな何かしらの使命感によって動いている。
そう思うと、周りの人へと見方が違ってくる。
自分が「本を読んでないと不安」なように「話していないと不安」な人もいるのだ。

さて、自分と同じ欠落を抱えた人に会ったらどうなるのだろう?
正直、一度も会ったことはない。
でも、会ったらきっと、この小説みたいなことが起こるだろう。


ハジメは同じ一人っ子の島本さんに惹かれる。
「外見の奥に潜んでいる温かく、傷つきやすい何か」を感じ取る。
島本さんは小児麻痺のせいで左足を軽く引きずっていた。
そして「大丈夫よ、ちょっと我慢すればこれも終わるんだから」と僕に向けて語っているような微笑みを浮かべていた。

島本さんがスカートの格子柄を指でなぞっているシーンはエロい。
「その指先から透明な細い糸が出てきて、それが新しい時間を紡ぎだしているように見えた」
例えるなら、水着の位置を直すシーンで
「その指先はナイフのように、彼女を縛り付けているものを断ち切ろうとしているように見えた」

思春期になると、ハジメは島本さんを避ける。
そしてハジメは体を鍛え、ひ弱な一人っ子を卒業し、高校でイズミというガールフレンドを作った。
しかし、イズミとキスをした後「僕は一体彼女についての何を知っているというのだ」と不安になる。
「相手が島本さんなら、こんな不安はなかっただろう」と。

これは、相手の女の子は完璧なのに、自分だけが欠点を持ってる感じかな。
僕自身、よく話す女の子(クラスで一番モテる)が好きだけど、
その子と実際に付き合ったら「僕は一体彼女の何について知っているというのだ」と思うだろう。
相手の欠点に共感できないと、人間同士が理解し合うのは難しい。

ハジメはコンドームを入手するが、イズミにバレる。ここで村上節。
「彼女が<コンドーム>と言うと、それはなんだかひどい疫病をもたらす不道徳な黴菌(バイキン)のように聞こえた」
これもパロ作ろう。
「彼女がコンドームと言うと、まるでお姉さんが小さな弟に教える勇気のでるおまじないのように聞こえた」

他にも村上エロ節
「出来ることなら彼女の肉体の中に手を突っ込んで、その何かに触れたいと思った」
「彼女の乳房は、僕の手にとても親しげに収まった」
「その唇はもう一度改めて僕を求めていた」
「彼女の手はまるでそこに何かを伝えようとするかのように、スカートの下にある自分の性器を撫でていた」

結局イズミとは上手くいかない。
その後、一人っ子の女の子と激しい性交をし、足の悪い女の子とデートする。
「物静かで、引っ込みがちな感じの美しさだった。
 それは僕に、森の奥の方からなかなか出てこない小動物を思わせた」
この描写好き。
「○○な美しさ」でいくつか量産したい。

「それは流れ星のような美しさというより、隕石群の軌道と地球の軌道が長い年月をかけて偶然重なったことに対する美しさだった」
「それは彼女自身が隠しておきたい秘密を覆うための美しさのようだった」
「僕にいくつもの賛辞の言葉を浮かばせた上、その中から決定的なものをなかなか選ばせない美しさだった」

年月は人を変える
「この世界はディズニーの砂漠は生きているって映画と同じなんだよ。
 雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだ。
 虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。
 でもいずれはみんな死んでいく。
 あとには砂漠だけが残るんだ。
 本当に生きているのは砂漠だけなんだ」

ハジメは婚約者の父のお金で、ジャズを流す上品なバーを経営する。
そして、婚約者の父に、バーの儲けを投資で増やしてもらい、裕福な生活をする。
「まるで誰かが用意してくれた場所で、誰かに用意してもらった生き方をしているみたいだ」と感じる。
自分の人生が自分以外の力で好転するのが不安なのだ。

そしてバーに島本さんがやってくる。
美しい文章を吟味するみたいにカクテルを飲む彼女。
ハジメは、噂でしか聞いたことのない極めて珍しい精密機械を前にした時のように彼女を見つめる。
彼女はハジメに会うのを躊躇っていた。
「自分のことについて喋りたくない」「がっかりしたくない」からだった。

ここで気になるのは、島本さんが「4年前に足を手術で治したのよ、少し遅すぎたかもしれないけど」と言ったこと。
これは「早く治しておけば思春期のときのハジメが離れて行かなかったのでは」と感じているのかな。
自分の足のせいで上手くいかないと思いつつ、治したら何も残らないとも思っている。

僕は、自分の欠点を治す医療ができても多分受けない。
それを受けると自分でなくなってしまう気がするから。
自分が今まで欠点を克服するためにしてきた努力が無駄になる気がするから。
でも、島本さんはそれを受けた。
おそらく金銭的な理由だと思うが、もし心理的なものなら、その変化は興味深い。

僕なら、自分の夢を叶えるためだとしたら治療を受ける。
島本さんもそうだったのではないか?
つまり、島本さんは足を治すことで、ハジメに会う資格を手に入れた。
でも、島本さんはまた数ヶ月姿を消してしまう。
そして今度は「綺麗で大きくなくて海に近い川を知らないか」と問い、連れて行ってもらう。

ここのハジメの台詞が良い。
「私は何も生み出してない」
「君はいろんなものを生み出しているような気がするな。
 例えば形にならないものを」
女の子を褒めるのが抜群に上手い。
相手の自己否定は、とりあえず否定する。

その後、好きなシーンが来る。
島本さんが病気で苦しみながら、かろうじて「くすり」と口にする。
しかし、周りには水はない。
そこでハジメは、雪を口に含んで溶かし、口移しで飲ませるのだ。
自分の中の「やってみたいことリスト」入り確定だ。
その後の「君だから親切にするんだ」も言ってみたい。

そして、島本さんはまた数ヶ月後にやってくる。
島本さんしか心を開く相手がいないと確信したハジメは、島本さんも箱根の別荘に連れて行く。
ここでようやく「国境の南、太陽の西」が登場。
国境の南とは、ただのメキシコのことだった。
国境の南には何があるのか想像していたのが拍子抜けする。

太陽の西
「地平線に沈む太陽を見ているうちに、なにかがぷつんと切れて死んでしまうの。
そして太陽の西に向けて飲まず食わずで歩き続けて、そのまま死んでしまうの」
ヒステリアシベリアナという病気らしい。
多分、ノスタルジーの一種かな?
これは惹かれ合う二人のことを言ってるのだろう。

「あなたは私を全部取るか、それとも私を取らないか、そのどちらかしかないの」
「あなたが『二度と私にどこかへ行ってほしくない』というのなら、あなたは私を全部とらなくてはいけないの。
 私が引きずっているものや、抱えているもの全部。
 そして私もあなたの全部を取ってしまうわよ」

島本さんから提示される2択。
これにOKするハジメ。
「一番の問題は、僕には何かがかけているということなんだ。
 それを埋められるのは君一人しかいないんだ」
お互い、かなり極端な思考。
ここらへんがついていけない。
それとも、人と人との心が深く結びついたら、こうなるのが自然なのだろうか?

そして島本さんは消える。
ハジメの思いは消えないし、欠落も埋められない。
しかし、ハジメは決意する。
「僕が誰かのために幻想を紡ぎだしていかなければならないのだろう」
「今の僕という存在に何らかの意味を見出そうとするなら、
 僕は力の及ぶ限りその作業を続けていかなくてはならないだろう」

これは内田樹さんが言ってた「欲しいものを手に入れるにはまず与えなければならない」ということだろう。
自分自身の欠落を埋めるには、相手の欠落を埋めるしかない。
「あなたは私にとってかけがえの無い存在です」と多くの人に思うことで、自分をかけがえの無いものにしていくのだ。

僕自身の欠落は、雑談で和むという感覚がよくわからないことだ。
他人と気持ちを共有するのが苦手で、その欠落を埋めてくれるものを探している。
でも、それを見つけるには、今までの自分を全部捨ててしまわなければならないのだろう。
もし欠落を埋めたいのなら、他人の欠落を埋めなくてはならないのだ。

欠落を埋めようとすることと、欠落に囚われることは違う。
欠落を埋めるには、欠落を受け入れなくてはならない。
そして、受け入れるためには他人の承認が必ず要る。
だから「まず与えなくてはならない」のだ。
まずは、他人の雑談下手を受け入れれば、自然と良くなっていくのではないかと思った。

さ、朝ごはんのカレーを食べようかな。
そしてデザートに岩波新書の目録を食べるんだ。

『もしドラ』では現実の試合に勝てなかった


もし、ドラッガーを読んでも勝てないと悟った女子マネージャーが肉体を駆使したら… (ヴァージン☆文庫)もし、ドラッガーを読んでも勝てないと悟った女子マネージャーが肉体を駆使したら… (ヴァージン☆文庫)
(2012/10/18)
千匹屋某

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Twitterで流れてきて、興味もったので購読。

あらすじは、
「もしドラでは試合に勝てないと悟ったマネージャー(嶺岸ミナミ)が、相手の主力選手と試合の朝までセッ○スし、実力を出せないようにする」
というものです。

もしドラではなぜ勝てなかったのか。
『ノーバント・ノーボール作戦』のせいである。

原作では↓のような効果がありました。
「送りバントはアウトを1つ与える割に効果が薄く、成功率も低い。
 また、考え方を硬直させ、野球をつまらなくする」
「ボール球を打たせようとすると、キレや勢いが疎かになる。
 また、試合時間を長くし、考え方を硬直させる
 北京五輪では、ボール球を見逃され、ことごとく打ち込まれていた」
(『イノベーション戦略とは、陳腐化したものを捨て去ること』から思いついた)

でも実際には、相手チームに戦略を見破られ、利用されてしまいました。
しかも、野邑監督は負けても戦略を変えようとせず、同じような展開で負けが続きます。


なんとかして勝とうとしたミナミは、野邑監督に直談判します。
そこでミナミは衝撃の事実を聞かされます。

「お前の読んでた本、あれは野球の本ちゃうで」
(なんと……っ!
 『もしドラ』は野球の本ではなかったのだ。
 道理でもしドラには『マーケティング』だの『顧客』だの
 野球に関係のない単語が何度も出てきたはずだ



……うん、ツッコミたい気持ちはわかります。
もう少し我慢してください。


立ち去ろうとした監督は、滑って仰向けに転んでしまい、膨らんだテントをミナミに晒してしまいます。

「監督の膨らんだ股間を見て、ミナミの脳裏に邪なアイディアが閃いた。
 これこそ自分が『もしドラ』で学んだ革新(イノベーション)に他ならない」



いやいやいやっ?! 絶対違うよっ?!
この子、本当にもしドラを読んだのでしょうか。
「女医が教える本当に気持ちのいいセクロス」ばかり読んでいたような気がしてなりません。


ミナミは監督の股間を踏みつけ、感じているところを動画に収めて、監督を脅迫します。
このシーンでの監督のセリフが笑えます。

「や、やめてくれ……わしには愛妻のサッティーと愚息のカシノソがおるんじゃ……」
「ワシはマゾ男! 妻に調教された変態じゃ!
 じゃから……生徒に足コキされて、情けなく射精しても問題はないんじゃッ!」




野邑監督を掌握したミナミ。
監督の顔の広さを生かし、相手チームの主力選手を呼び出しては、セクロスで骨抜きにしてしまいます。
相手は『ワルビッシュ勇(いさむ)・鱸一郎・山田タ○ー』です。

大胆にパクってます。
ワルビッシュに至っては
「『いさむ』なんて呼ぶ奴はいないよ。みんな『ユウ』って呼ぶぜ」
と言う始末です。

鱸一郎はいくつかのルーチンワークを持っていて、非常に拘っている様子。
しかし、セックスのルーチンには飽きたらしく、アブノーマルプレイに走ってます。
ちなみに高校名は愛工大処女(メイデン)です。

そして山田タ○ーは巨乳の妹好き。


彼らは試合当日、セクロスしすぎでスイングが腰砕けになったそうです。
誰がうまいこと言えと(ry

セックスの最中にマネジメントを思い出すのも良かったです。
「働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たなければならない」などなど。


ココらへんは笑えるには笑えますが、ミナミたちの心理の変化がイマイチでした。
処女の割りには最初からセリフが淫乱ですし。


総評すると、最初の方はパロディに笑えるのですが、
Hシーンやシナリオの整合性という点ではイマイチです。

なんでHテクを『女医が教える本当に気持ちのいいセクロス』を参考にしたんでしょう。
Hシーンもドラッカーを元にしたら面白かったと思います。
アイディア自体は良いので、もうちょっと練ってから出版して欲しかったです。

おわちっ!

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知るということは根本的にはガンの告知だ

バカの壁 (新潮新書)バカの壁 (新潮新書)
(2003/04/10)
養老 孟司

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この本は「いずれ読まなきゃいけないなー」と感じてました。
いつの間にか4年経ってますね……

バカの壁とは
「自分が知りたくないことに対して意図的に情報を遮断する壁」
のことです。
原発事故のニュースで出てきた「想定外」という言葉もこれですね。

なぜ壁が出来たかというと、脳化社会になったから。
「こうすれば、ああなる」という考えが世に蔓延した。
そして「ああなる」以外の現象は見ないようになったのです。

これを防ぐには
・「話せば分かる」「絶対的な真実がある」と思い込まないこと
・頭に入力するものを限定せず、いろいろなものを見ること

私はいつも同じような過ごし方をしているので、少し変えてみるとよさそうです。
私の入力は本とネットしかないので、人から入力するとか。
他人から教わることで、違った世界が見えてくるかも。
特に、家族から教わったことがほとんどないので、何か訊いてみようかな。


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


■本書のハイライト

・日本人は”常識”のことを”雑学”だと思っている

・戦後の日本人は「働かなくても食える」状態を目指していた。
 ところが今「失業問題が深刻だ」と言っている

・反証され得ない理論は科学的理論でない

・人生でぶつかる問題に答えなんてない。とりあえずの正解があるだけです

・知るということは根本的にはガンの告知だ
 ガンになって「あと半年の命だ」と言われたら、あそこの桜が違って見えるだろう

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鉄道さえつながっていれば、みんなまたいつか会える

僕は君たちほどうまく時刻表をめくれない (ガガガ文庫)僕は君たちほどうまく時刻表をめくれない (ガガガ文庫)
(2011/11/18)
豊田 巧

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 この本はニコニココミュニティ「ライトノベル読書会」の課題図書になったので読みました。
 鉄道の話ですし、何より表紙の絵がかわいいです。一気に読みました。

 総評としては、美優のかわいさで突っ走った感じですね。
 鉄道の話は面白いんですが、初心者としては脚注が欲しい所。
 また、美優以外のキャラがあまり印象に残らないのも気になります。
 くれあは時刻表めくりと錠剤一気飲みくらいしか出番がなかったので、美優のブレーキ役か解説役に回って欲しかったです。
 主人公の駿も美優に押されっぱなしですし……。
 (あと由佳のメロンて……)

 でも、美優はそれを埋め合わせるくらい活躍してました。
 鉄道知識もそうですし、台詞の一つ一つから鉄道好きなのが伝わってきます。
 この娘にはモデルがいるんでしょうか? ちょっと想像出来ませんが、いるなら会ってみたいですね。
 モデルなしだとしたら、作者の想像力はかなりのレベルだと思います。


 ラストの告白シーン(?)は、作者のオタク心(?)が編み出したように思います。

 「関係ないじゃん! 先輩の気持ちなんてっ」
 「思いを伝えれば、きっと……由佳の気持ちも晴れるわよ」

 「周りにどう思われようと、自分の好きなものを貫く姿勢」が、この台詞を生んだような気がします。
 とても大事なことだと思います。
 周りに好かれようとして、自分を嫌いになったら楽しく無いです。


 次回も買いたいと思います。今度はくれあルートを是非!!


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


■本書のハイライト

・美優は何に対しても答えをもっているのだ。それは鉄道に関しても、恋愛についてもだ
・「もしかしたら一生に一回しか見られないこの景色を、見過ごしてしまってもいいの?」


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□ネタにしてみた

どれだけ大きくスケッチブックに書いても、先輩が見てくれなきゃ意味がないんだ。
「美優、俺、ホームの先頭で呼びかけるよ!」
言うや否や、俺はスケッチブックを空高く掲げて叫ぶ。
「おーーーーい! こっちを見てくれーーーー!」
「って駿! それじゃアンタが告白してることになるじゃない!」

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恋愛力はコメント力

「恋愛力」
齋藤孝 著
ちくま文庫 出版


久々の更新。
もうちょい頻度増やさないと……
具体的に言うとハム太郎におけるトンガリくんの出場数くらい

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

さて、今回のテーマは「恋愛」です。
みなさん、恋愛してますか?
私は最近、トルタを攻略しようと頑張ってます(え

この本の感想を一言で言うと
ヨン様かっこ良すぎ
冬ソナを見てない人は、今すぐ見るべきです。

本書では、恋愛に必要なのは「コメント力」と述べられてます。
女性は具体的にあれこれ言って欲しい生き物である。
「わたしのどこが好きなの?」と女性がよく言うのが証拠。
(あ、ちなみにこの本は男性向けです)
そこで、女性にどれだけ気の利いた台詞が言えるか。これが恋愛力の要である、と。

本書では主に「村上春樹小説の主人公」「冬ソナのチュンサン、ミニョン」に見習え! と書いてます。
私は最初、ノルウェイの森を読んだ時、「こんな台詞恥ずかしくて言えない」と思ってましたが、どうやら女性は喜ぶようです。知らなかった。

まずは春樹。

「ひどいことを言ったからよ。それで謝りたかったの」
「ねぇ、僕のことなら何も気にしなくていい。
それでも気になるんなら公園に行って鳩に豆でもまいてやってくれ」



「ねぇ」と言って、女性にスッと間合いを詰めて、軽くポンと肩に触れるように相手の心に触れる。
さらに「僕のことなら何も気にしなくていい」という。
女の人は「ねぇ」と言われた効果で、「気にしなくていい」と言われて余計に気になってしまう。
それを見越して「それでも気になるんなら……」と続けている。

その後に続く言葉は、普通なら「飲みに付き合ってよ」など、~~してくれが普通だ。
しかし春樹は「公園に行って鳩に豆でもまいてやってくれ」
単にシュールなのではなく、どこかロマンティックなところがすごい。

その後の「あんなふうに言うべきでなかったと思うの」に対しては
「自分に厳しいんだね」と言い、相手の自尊心をくすぐっている。


「彼女とはどうなったの?」
「別れたね」
「幸せだった?」
「遠くから見れば……大抵のものは綺麗に見える」



間接的に薄い膜をかけて会話をしている。
すると相手は膜をはがしたくなる。そういう気持ちを誘うコメントである。

とにかくきちんとした会話で、二人があっている時間を濃密なものにしようとしている。
一期一会というが、そうなるためにはコメントが独自性を放っていないといけない。


他にも色々あるのですが、スペースの関係上「冬ソナ」に行きます。

ミニョン「サンヒョクさんのどこがそんなに好きなんですか?」
ユジン「自分のことをよくわかってくれていて、心が暖かくて…………(以下続く)」
ミニョンが笑う。
ユ「何故笑うんですか?」
ミ「愛するのにやけに理由が多いなと思って」
ユ「……違います。彼は本当に良い人なんです」
ミ「そう思いますか? じゃあ……例えば、僕を好きな理由は?」
ユ「はい?」
ミ「答えられないでしょう? 本当に好きなときには、そんなふうに理由を言えないものなんですよ」



もし好きな理由をたくさん上げれば「やけに理由が多いなと思って」
もし少なければ「えっ、それだけなんですか」と言えばいい。
どんな会話の流れでも「君は僕が好きなんだ」に行き着く。

ミニョンは常に「自分以外の男を選ぶのはダメ」になるように、会話を操っている。
恋愛には、これぐらいの強引さが必要なのだ。


恋愛力―「モテる人」はここがちがう (ちくま文庫)恋愛力―「モテる人」はここがちがう (ちくま文庫)
(2009/09/09)
齋藤 孝

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悲しさとか痛さは、楽しさの裏返しだから……それを知っていれば、みんなをもっと好きになれるから

「水夏 ~SUIKA~ 」
雑賀匡 著
サーカス 原作


はやいもので、もう11月ですね。
紅葉シーズンももう間近。地域によっては見頃を迎えているみたいですね。

さて、新年に立てた目標……果たしていくつ達成したのでしょうか。
「何も目標も立ててない私に隙はなかった(キリッ)!!」
……というのは置いといて。

私の目標は「長編小説を書く」だったと思います。
…………
まだ全然書けてない……。

……いえいえ、あと2ヶ月で仕上げれば問題なしです。
みなさんも、まだ達成してない目標があったら、諦めずに続けましょう。

さて……ここから本の話に無理矢理つなげます。
私が何とか弾けるピアノ曲は「夏影」「なつのおわりに」「汐」です。
そして、今回のレビューは、「なつのおわりに」が使われている「水夏」です。
(何この下手なつなぎ)

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

主人公の宏が、神社で「お嬢」と名乗る少女を拾ってくるのですが、実はこの少女は死神だったのです。
死神は、死んだ人の魂をあの世へ届けるのが仕事です。
しかし、お嬢は自分の仕事に罪悪感を覚えていて……
と、こんなシナリオなのです。

今回は感想を書きません。
「齋藤孝の企画塾」に登場する「デザインシート」に落としこみます


・対象
 よくわからない。
 文章からすると10代なんだけど、Hシーンがあるという矛盾。
 20代には少し物足りない内容だと思われる。


・タイトル
 「水夏」
 これは最後にお嬢に名前をつけるシーンが出てきて、そこで登場します。
 このタイトルは意味深でいいですね。
 「涼」をイメージさせますし、同時に生気を徐々に奪うような恐ろしさ(気化熱?)も兼ね備えてます。
 p218の、お嬢が過去に捨てた感情が、お嬢の元に還るシーンにおいて
 「熱したアスファルトにまいた水が乾くように、根元的な力をストローで吸い出される感覚」
 という表現が出てきます。
 覚えやすさも満点。

 夏にリンクしているのも良いですね。
 夏になれば誰もが感じる儚さとシンクロ出来てる。
 お嬢の帽子についてる鈴の「リーン リーン」という音もいい。
 「夏がくれば思い出す作品」になってる。


・ねらい
 クライマックスで宏がお嬢に言う台詞
 「悲しさとか痛さは、楽しさの裏返しだから……それを知っていれば、みんなをもっと好きになれるから」
 を伝えること。
 最も印象的な場面で言わせる。
 台詞は文脈が命。さあ、どうする??


・テキスト
 ノベルゲーム


・キーワード
 現実に立ち向かう勇気を持って欲しい。
 理不尽な悲しさでも受け止めて前に進んでほしい。


・段取り
 18歳の男性が好きそうなモノにする。
 ファンタジー要素。

 ねらいの台詞は主人公に言わせる。
 聞く台詞より言う台詞の方が腹に落ちる感じがする。
 (CLANNADでいうと、オッサンの「夢を叶えろ渚あぁーー!」より、主人公の「俺たちも同じだぞ渚!」の方がグッときた。当事者になった感じがした)

 タイトルでも考察したように、季節とセットにしたものはインパクトは強い。
  夏の物語にしよう → 幽霊か死神をヒロインに

 理不尽な悲しさとは何か。
 「愛する人を奪われること」
  愛する人が奪われて、幽霊になって出てくる。
  そこにいるのに、決して戻ることの出来ない存在。
  幽霊は、恋愛に心残りがある。
  成仏するためには、精神レベルで満足する必要がある。
  (肉体的満足や金銭的満足は得られないから)

  (……これでも話作れるけど、テーマからずれてるね)

  死神がヒロイン。
  魂が迷わないように、あの世へと導くのが仕事。
  結果的には自分が死なせているのでは……という罪悪感にさいなまれる。
  しかし、この仕事をやめることは出来ない。
  そして、お嬢は人を愛する感情を切り離してしまう。

  でも、感情を切り離してしまったら、喜ぶことも出来ない。
 (人付き合い苦手だからといって避けていると、喜びを得られないのに似ている)

 お嬢が運ぶ魂
  宏にとって身近な人。
  妹は最後にとっておく。そのほうが盛り上がる

 お嬢から離れた感情
  誰かに憑依している


・仕込み

 舞台設定
  死神と出会う場所は --- 神社
  AIRの影響?(それはない?)





途中で挫折orz

水夏 (Paradigm novels (130))水夏 (Paradigm novels (130))
(2001/11/02)
雑賀 匡

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勉強はつまらない。だからこそ、自分の力で、精一杯の面白さを見つけていく。

ゆうき式逆転発想勉強術
精神科医 ゆうきゆう 著
スリーエーネットワーク 出版


お早うございます。
今日から、朝活読書を始めました。
やっぱり、早起きは気持ちいいですね。

今までは夜中に読書をしていましたが、読んだ後に眠れなくなるので困ります。
読書には朝が似合いますね。


さて、今回のレビューは、勉強法の本です。
勉強の本は書店にいくとたくさん見かけます。
しかし(この接続詞は変かな……)、実践しやすさ、わかりやすさ、面白さでは、この本に勝るものはないと思います。
しかも、会話形式でとても読みやすいです。

著者のゆうきゆう先生は精神科医で、心理学を応用したテクニックを紹介した本・メルマガなどを発行しており、大変有名な方です(多分)。
彼の運営しているサイト「心理学ステーション」の総アクセス数は、9700万に達しています。

この本には「心理学を応用した受験テクニック」がたくさんのっています。
基本的には、苦痛を減らして楽しく勉強する方法がメインです。
中でも僕のお気に入りは次の3つです。

・ギャンブル勉強法
 「勉強中に時計を見て、分の数字が奇数だったら休憩する。偶数だったら続ける」

・勉強をオモチャにする
 「〈すごく強引なゴロ合わせ+形からの連想〉で記憶する。
  〈60歳は還暦〉を覚えるなら、60の0の〈れい〉から〈かんれいき〉→〈かんれき〉」
 「ツッコミを入れる。
  〈遣隋使は小野妹子……って男かいっ〉」

・はじめはただ見つめる + あと一歩だけ
 「1ページでもいいから、とにかく始める。
  勉強をやめる前にもう1ページやる」



僕は、この本を読む前は勉強がキライでした。
しかし、読んでからはある程度は好きになれています。

公式でHな語呂合わせを作ったり。
ノートの右端に余白を作って、そこに感想を書いたり。

授業中眠いときも「この説明が終わったら寝ていい」と思いながら聞いてると、眠くなりませんでした。
これ、不思議と、終わったあとも眠くならないんですよね。
多分、眠らないように集中していた分、授業がわかるようになったんだと思います。


僕はこの本以外にも勉強法の本を読みましたが、どうしても続きません。
「朝早く起きて前日の復習をする」
「数学は授業用と演習用のノートを作る」
などなど……
これ、わかってても出来ないですよね。
やってるうちに「勉強なんて意味がない」と考え、ゲームをやってました。

僕が知りたいのは、どうやったら効率良く勉強できるかではなく、
「どうやったら楽しく勉強できるか」。
いくら効率が良くても、やりたいと思わなければ意味がありません。

その点、この本の方法は、やってると楽しくなりますし、なにより簡単です。
みなさんも是非やってみて下さい。

他にも
「(ダイエット中にケーキを食べた場合)今日ケーキを食べたのは、このあと1km歩く自分への、先取りのご褒美と考える」
「集中して勉強したいときは電車でやる」
「参考書はたくさんの種類を読んで、自分にあったものを見つける」
など役立つテクが満載です。

さらに、テクニック紹介の最後には、心に残る名言が載っています。
「あなたの毎日は、感じ方一つで、いくらでも変わってくる」
「本当に勝っている人間は、何があっても、常に笑っていられる人間」
「人に与えたものは、絶対に自分に返ってくるの。まずはあなたから与えるの」
「大切なことは、今のこの瞬間を楽しむこと」


ゆうき式逆転発想勉強術―「勉強したくない!」を活用するゆうき式逆転発想勉強術―「勉強したくない!」を活用する
(2006/06)
ゆうき ゆう

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